『プロメテウス』(2012年/リドリー・スコット)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
『プロメテウス』(原題:Prometheus/2012年)は、巨匠リドリー・スコットが自身の監督作『エイリアン』(1979年)へと繋がる神話を圧倒的なスケールで描いたSF超大作。人類の起源を解き明かすべく、未知の惑星へと降り立った探査船プロメテウス号の乗組員たちが、創造主の恐るべき真実に直面する姿を活写する。考古学者をノーミ・ラパス、冷徹なアンドロイドをマイケル・ファスベンダーが演じ、シャーリーズ・セロンら豪華キャストが脇を固める。第85回アカデミー賞で視覚効果賞にノミネートされたその精緻な映像美は、生命創造という深遠なテーマを重厚に演出。科学と信仰が交錯する極限状態を描いた。
ビジュアルの怪物が放つ豪快な空振り
リドリー・スコットという男は、映像表現において圧倒的な天才性を示す一方で、物語の構造やキャラクター描写に致命的な弱点を抱える、極端な偏向作家である。
野球選手で例えるなら、自分の好きなコースには異次元の飛距離を誇る特大ホームランを放つが、それ以外の球にはすべて豪快に空振り三振を喫してしまうようなタイプ。
神話的なスケールを感じさせるビジュアルセンスはもはや神の領域だが、いつ・どこで・誰がといった5W1Hのストーリーテリングとなると、途端に足取りがおぼつかなくなる。その結果、彼の映画をまともに理解しようとすると、観客はしばしば迷宮に放り込まれたような混乱を味わうことになるのだ。
出世作である『エイリアン』(1979年)が完璧だったのは、それが密室SFホラーという極めて単純明快な構造を持っていたから。対照的に、SF映画の金字塔となった『ブレードランナー』(1982年)は、物語や設定の行間があまりにも広すぎた。しかし、熱狂的なファンたちが勝手にその隙間を読み解き、脳内で補完してくれたおかげで、結果的にカルト的な支持を獲得することに成功したのである。
つまり、リドリー・スコットは骨の髄までのビジュアリストであり、緻密な物語よりも光と影の構図の力を信じて疑わない男なのだ。その後のキャリアも壮絶な乱高下を見せる。歴史物からコメディまでジャンルを横断して挑むものの、正直言ってそのフィルモグラフィーは玉石混交。
『ブラック・レイン』(1989年)や『グラディエーター』(2000年)のような文句なしの傑作を放ったかと思えば、『1492 コロンブス』(1992年)や『G.I.ジェーン』(1997年)のようなトホホ作も平気で繰り出す。
しかし、この予測不能なムラっ気こそが、リドリー・スコットという作家の人間臭くてたまらない魅力でもあるのだ。
創造主への不敬な挑戦
そんな乱高下するキャリアの中で作られた『プロメテウス』(2012年)は、リドリーの映像的ストロングポイントをこれでもかと発揮できる、まさに彼のためのプロジェクトだった。
タイトルの「プロメテウス」とはギリシア神話に登場する神の名であり、人類に火を与えた代償として永遠の苦しみを受けた存在を指す。この神話的モチーフは、本作が掲げる「人類の起源」や「創造主との対立」という壮大なテーマに直結し、SF叙事詩としての太い骨格を見事に形成している。
本作は、神話学者ジョゼフ・キャンベルの「英雄の旅」の構造や、哲学的な人間の存在論を背景にしながら、人類の起源という禁断の領域へと足を踏み入れていく。ここでのリドリーの演出は、『ブレードランナー』の退廃的な都市描写や、『エイリアン』の息詰まる密室恐怖の延長線上にある。
異星にそびえ立つ巨大建造物や不気味な廃墟の風景は、単なるSFの背景美術ではない。それは、人類文明の脆さと、どうしても逃れられない宿命を観客に意識させる、静かな暴力として機能しているのだ。
特に、異星の地層を這うように進むカメラワークや、冷徹なまでに研ぎ澄まされた美術設計は圧巻の一言。映像そのものが哲学を語り、沈黙が深遠な問いを投げかけてくる。この画の説得力だけで観客をねじ伏せる力技こそが、リドリー・スコットの真骨頂なのだ。
整合性の崩壊と自己陶酔
……しかし、である。映像の壮麗さとは裏腹に、物語の理解は相変わらず困難を極める。
マイケル・ファスベンダー演じるアンドロイドのデヴィッドが、なぜか初めて訪れた宇宙船の構造に詳しすぎたり、ホロウェイ博士に謎の液体を飲ませた動機がサッパリ分からなかったり、置き去りにされた情けない二人組がいきなり凶暴化したりと、説明不足のオンパレード。リドリーのウィークポイントが、これでもかとスクリーンからダダ漏れになっているのだ。
さらに極めつけは、エリザベス・ショウ(ノオミ・ラパス)が全自動手術台で自らの腹を切り裂いてエイリアンの幼体を摘出した直後、医療用ホッチキスで傷口をバチバチと止めただけで元気に駆けずり回るシーン。もはや物理的・論理的な整合性など完全に無視している。
普通の映画なら失笑が漏れるトンデモ展開だが、リドリー・スコットはそんな細かいツッコミなどお構いなし。圧倒的な映像センスと尋常ではない緊張感で、強引にその物語の破綻を突き抜けていってしまうのだ。
個人的にシビれるのは、デヴィッドが自身のフェイバリット・ムービーである『アラビアのロレンス』(1962年)を鑑賞し、主人公ロレンスの台詞を引用して髪型まで真似る場面だ。
物語を前に進める上では完全に不要なエピソードなのだが、そこにはどうしようもない自己陶酔的な美しさが満ちている。ロレンスという「異邦人」に自分自身の孤独を重ね合わせるアンドロイド……この奇妙で切ない詩情こそが、リドリー映画の真の醍醐味ではないだろうか。
『プロメテウス』は、単なるSFホラーではないし、ましてや安易な『エイリアン』のプリクエルでもない。神話的モチーフ、圧倒的映像美、そして不可解きわまりない物語が交錯する、極めて異形の映画だ。
そして僕らは、その異形さ、その歪な魅力ゆえに、この映画をどうしても嫌いになれない。いや、むしろ熱烈に偏愛してしまうのだ。
- 監督/リドリー・スコット
- 脚本/ジョン・スペイツ、デイモン・リンデロフ
- 製作/リドリー・スコット、デヴィッド・ガイラー、ウォルター・ヒル
- 製作総指揮/マイケル・コスティガン、マーク・ハッファム、マイケル・エレンバーグ、デイモン・リンデロフ
- 撮影/ダリウス・ウォルスキー
- 音楽/マルク・ストライテンフェルト
- 編集/ピエトロ・スカリア
- 美術/アーサー・マックス
- 衣装/ジャンティ・イェーツ



