『イノセンツ』の考察/解説レビューをCINEMOREに寄稿しました

『イノセンツ』無垢なる少女、少年たちの密やかな遊び」という考察/解説レビューをCINEMOREに寄稿しました。

innocent(イノセント)という言葉は、ラテン語の「innocere」を語源としている。“傷つける”という意味を表す「nocent」と、それを否定する「in」という組み合わせから、「傷つけない」=「無害」。そこから転じて、「無邪気」、「天真爛漫」、「無垢」という意味として使われている。

だが実際にイノセントなる存在は、その無邪気さ、無垢さゆえに人を傷つけてしまう。社会性や倫理性の基盤が育まれていない子供となれば、なおさらだ。美しいものに対して素直に感動する豊かな感受性と、見境なく他者を攻撃する暴力性が、未分化な状態で同居している。昆虫や小動物に対して、子供が残虐行為を働くのは決して珍しいことではない。それは遊びの延長線上にあるものなのだ。

筆者が10代の頃に読んだ⼤友克洋のSFマンガ「童夢」は、まさにそういう作品だった。あるマンモス団地で連続発生する、不審な死亡事件。その犯人は、老人でありながらその心性は幼児のチョウさんだった。彼は強大な超能力を操り、子供のような悪戯心で、次々と罪なき人々を死に追いやっていたのである。やがてその団地に、同じく超能力者の少女・悦子の一家が越してくる。チョウさんの正体を知った悦子は、このまま彼を野放しにすることはできないと決心し、一人戦いを挑んでいく。

革新的な画面構成、細密に描き込まれた風景描写。イノセントな子供たちによる壮絶なサイキック・ウォーズを、⼤友克洋は圧倒的な画力で提示してみせた。1980年から雑誌連載がスタートしたこの作品は、やがて世界中にファンを持つワールド・スタンダード・コミックに。90年代には、デヴィッド・リンチが「童夢」の映画化に着手していたこともあったという(そういや、タイカ・ワイティティ監督によるハリウッド実写映画版『AKIRA』の企画は、今どうなっとるんだ?)。

ぜひご一読ください!

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