今や黒沢清の代表作として認知されている『CURE』が公開されたのが、1997年。
ちょうど、オウムによる一連の事件によって“マインドコントロール”という言葉が一般に敷衍した時期と重なる。だからだろうか、このサスペンス映画は「情報操作によって人間のなかに潜む憎悪を呼び起こす」という語られ方が一般的だった。だが、果たして本当にそうだろうか。
本編の主人公である高部(役所広司)は、捜査一課の刑事として日々職務に追われつつ、家庭では精神病を患う妻(中川安奈)を気遣っている男だ。
だがその心の奥底には、彼女に対するフラストレーションが鬱積している。刑事として「感情を表に出さない」という行動規範を定め、よき家庭人としての顔=ペルソナという仮面の下に身を置いているのだ。
もちろん社会生活を営むにあたって、ペルソナの仮面をつけることは現代人の必須アイテム。誰しもが心に抱える病だ。
しかし役所広司は、己の表層的人格に極めて自覚的。だからこそ、物語の中核を担う人物・間宮(萩原聖人)の「あんた誰?」という言葉に対し、彼は強いリアクションを示すんである。
逆に、間宮に「あいつら何にも分かってないんじゃない」と糾弾されてしまう大杉漣演じる刑事部長などは、自分のペルソナに非自覚的。どー考えてもズラ丸だしなヘアースタイルが、表層的人格が表層的頭髪にまで進行してしまったことを、暗に物語っている。
こう考えると、間宮の行為は「情報操作によって人間のなかに潜む憎悪を呼び起こす」といったような、マインドコントロールではない。
「社会的秩序によって心の奥底に閉じ込めた感情を浮き上がらせ、承認し、癒しを与える行為」なのだ。そこには善悪の概念はない。それすらも、社会的秩序を保つために産み出されたシステムにしか過ぎないのだから。
精神科医の佐久間(うじきつよし)は社会的自縛によって良心の咎めを感じ、自ら生命を断つことを選択するが、役所広司は妻を殺害することによって癒しを得る。心身ともに解放され、以前であれば一口も口にできなかったファミレスの料理も平らげるほどに快復する。
「CURE=癒し」と題されたこのフィルムで、我々が最も恐怖すべきなのは、社会的倫理の否定でしかもはや我々は救済されないのだ、という厳然たる事実なんである。
個人的に面白いと思ったのが、現代的なテーマを内包した映画を製作するにあたって、黒沢清がオールド・ファッションな意匠を選択していること。
中川安奈が入棟する病院の建築様式はどう考えても時代錯誤だし(看護婦のカッコウが古すぎ!)、19世紀末に撮られたという催眠術のフィルムなんぞ、ほとんど 中田秀夫『リング』の呪いのビデオだ。
役所広司に最終的な癒しを与えるのが蓄音機というのも、さもありなん。大正ロマン漂うデカダンな雰囲気が、この映画に不思議な魅力を付与している。
- 製作年/1997年
- 製作国/日本
- 上映時間/111分
- 監督/黒沢清
- 脚本/黒沢清
- 企画/池田哲弥、神野智
- プロデューサー/土川勉、下田淳行
- 製作/加藤博之
- 撮影/喜久村徳章
- 編集/鈴木歓
- 音楽/ゲイリー芦屋
- 美術/丸尾知行
- 装飾/須坂文昭
- 録音/郡弘道
- 音響効果/丹雄二
- 照明/金沢正夫
- 役所広司
- 萩原聖人
- うじきつよし
- 中川安奈
- 洞口依子
- 戸田昌宏
- でんでん
- 螢雪次朗
- 大鷹明良
- 大杉漣
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