【ネタバレ】『ナインスゲート』(1999)
映画考察・解説・レビュー
『ナインスゲート』(原題:The Ninth Gate/1999年)は、ロマン・ポランスキー監督がジョニー・デップを主演に迎えたミステリードラマである。希少本を追うディーン・コルソは、悪魔を召喚するという伝説の書「影の王国への九つの扉」の真贋を調べるため、ヨーロッパ各地を巡る。依頼人バルカンの思惑と不可解な事件に巻き込まれながら、彼は知と信仰、現実と幻想の境界をさまよい、やがて書物に隠された真の意味に近づいていく。
理性が狂気へと堕ちる瞬間
ロマン・ポランスキーのサスペンス映画には、常に抗いがたい闇へと堕ちていく男の顔がある。『チャイナタウン』(1974年)のジャック・ニコルソンしかり、『ゴーストライター』(2010年)のユアン・マクレガーしかり。彼らの冷徹な眼差しの奥には、人間の理性がガラガラと崩壊していく危うさが常に秘められている。
『フランティック』(1988年)のハリソン・フォードは例外的に妻を救う陽の男だったが、ポランスキーが本能的に求めてやまないのは、内側に悪魔的な陰影をドップリと宿した俳優だ。『ナインスゲート』(1999年)におけるジョニー・デップもまた、間違いなくそのダークな系譜に連なる。
彼が演じる稀覯本ハンター、ディーン・コルソは、理知と退廃を同居させた、知の探偵。その冷たい眼差しの奥には、金と欲望の生臭い臭気が漂っている。彼の仕事は単純明快。珍しい悪魔書を買い取り、金に糸目をつけないイカれた収集家に転売することだ。
だが、大富豪バルカン(フランク・ランジェラ)から請け負った、世界に3冊しかないとされる悪魔の祈祷書「影の王国への九つの扉」の調査は、単なる書物の真贋鑑定では終わらない。
知識と信仰、理性と悪魔、文字と呪詛がドロドロに混じり合う迷宮に足を踏み入れた瞬間、コルソの探求は引き返すことのできない、知の地獄めぐりへと変貌を遂げるのだ。
コルソは典型的なポランスキー的主人公である。つまり、自らの意思で喜んで暗黒の森に分け入っていく男だ。危険を承知で秘密を暴こうとするのは、単なる職業的好奇心ではない。彼の内側には、理性を超えて知を求める恐るべき欲望──「知識の悪魔」がすでに棲みついているのだ。
依頼人であるバルカンが、悪魔的知識を権力として利用しようとする外的な“狂信者”であるのに対し、コルソはそれを実践的に生きてしまう“無意識の信徒”なのだ。
知を追う者が、やがてその知によって滅び(あるいは変容し)ていく。これはポランスキー作品に通底する、最高に美しく絶望的な悲劇の構造である。
妻エマニュエル・セニエと、テクストの迷宮
この血生臭い悪魔的世界へとコルソを導く謎の女を演じるのは、ポランスキーの妻であるエマニュエル・セニエだ。
『フランティック』では妖艶な奔放さでハリソン・フォードを翻弄したが、本作では一転して、性別も年齢も曖昧な、悪魔の使いのような超常的な存在として立ち現れる。
彼女の演技には、どこかトウの越えた違和感がある(失礼)。だが、彼女はもはや肉体的な魅力で誘惑するのではなく、形而上的な原理の象徴としてスクリーンに存在している。
彼女は多くを語らず、ただ見つめ、微笑み、時に重力を無視して跳躍する。そう考えれば、彼女が放つある種のミスキャスト感もまた、ポランスキーが意図的に仕掛けた不和音として完璧に機能しているのではないか。
そして本作の絶対的な中心にあるのが、「影の王国への九つの扉」という呪われた書物だ。悪魔を召喚する儀式図が刻まれた3冊の本。だが、それぞれの挿絵には微妙な差異があり、真実を導く鍵はその差異の中にこそ潜む。
これは映画そのものの構造だ。スクリーンに映し出される不気味な図像は、書物の内容を超えて観客の知覚に直接訴えかけてくる。文字(ロゴス)とイメージ(アイコノス)の境界が曖昧に溶け合う瞬間、映画はただの“読む行為”から、悪魔を“信じる行為”へと恐ろしく転化していく。
コルソがページをめくるとき、彼は同時にポランスキー的狂気の世界の門を一つずつ開いているのだ。すべてを知ろうとする行為そのものが、すでに悪魔への冒涜なのである。
ダリウス・コンジの冷徹なカメラと、終わらない「袋小路」
本作の映像美を決定づけているのが、ジャン=ピエール・ジュネ監督の『ロスト・チルドレン』(1995年)などで幻想的な映像世界を構築した名撮影監督、ダリウス・コンジである。
彼のカメラは本作において、一貫して絵画的だ。オカルト映画にありがちな、陰影の深いジメジメしたゴシックホラー的照明に逃げるのではなく、むしろ乾いた明度と平面的でフラットな構図によって、白昼夢のような現実の夢を描き出す。
色彩を抑えたその画面は、ポランスキーの知的で冷酷な視線と完璧に響き合っている。闇がベタな闇として描かれない世界。それこそが、ポランスキーが探求し続けてきた、悪魔的無感情さの視覚化なのだ。
ラスト、数々の死と欺瞞を乗り越え、コルソはついに「第九の扉」へと辿り着き、まばゆい光の中へと歩みを進める。だが、その扉の向こうに何があるのか、具体的な答えは一切示されない。観客は彼と共に、永遠の黄昏に取り残されることになる。
ここでの結末の不在は、まさにポランスキー作品のシグネチャーだ。『テナント/恐怖を借りた男』(1976年)、『袋小路』(1966年)、『反撥』(1965年)。
彼の描く主人公たちは皆、閉じた空間で自己崩壊し、出口のない世界へと沈んでいった。『ナインスゲート』もまた、知の探求が永遠に円環を描く“袋小路の物語”なのだ。
悪魔のグロテスクな正体は露わにならず、安っぽい恐怖のジャンプスケアもない。あとに残るのは、理性を超えた虚無の静けさだけ。そこに漂うのは、ポランスキー自身の知識と罪、理性と狂気の狭間を永遠に往復し続ける、映画作家の業そのものである。
- 監督/ロマン・ポランスキー
- 脚本/エンリケ・ウルビス、ロマン・ポランスキー、ジョン・ブラウンジョン
- 製作/ロマン・ポランスキー
- 原作/アルトゥーロ・ペレス=レベルテ
- 撮影/ダリウス・コンジ
- 音楽/ヴォイチェフ・キラール
- 美術/ディーン・タブラリス
- 衣装/アンソニー・パウエル
