恋愛の女性上位時代を高らかに告げた、’80年代のバイブル
女性にも男性にも、幅広く支持される恋愛漫画家というのはおそろしく少ない。柴門ふみはその意味でも希有な存在である。
僕は頭のてっぺんから足のつま先まで100%男であるからして、男性の視点にたってこのマンガを読み解いていくが、この作品に対する偽らざる感想は、「身につまされる漫画」ということだ。実に男性心理をチクチクと刺すマンガなのである。
柴門ふみは、いつだって等身大の恋愛を描いてきた。『同・級・生』(1988年〜)や『あすなろ白書』(1992年〜1993年)でもいえることだが、そこには日常的な恋愛があり、仕事があり、セックスがある。ありふれた男と女の物語は、数年間のスパンをかけて綿密に描かれる。
十代だった主人公たちは青春の蹉跌を噛み締めながら、ゆっくりと、だが確実に社会に適応していく。「好き」という感情だけで幸せだった時代は過ぎ去り、本音と建て前の狭間で男は苦しむことになる。柴門ふみの真骨頂は、男女間の微妙な温度差を暴き出すことだった。
『東京ラブストーリー』(1988年〜1989年)はその路線がより鮮明となった作品だ。何をしでかすか分からない破天荒な赤名リカと、 家庭的で保守的な関口さとみ。男として、幸せなのはどっちの女性なのか?男性にとっての永遠のテーマがここには隠されている。
女性からは大変ヒンシュクを買いそうだが、「付き合うならリカ、結婚するならさとみ」という身勝手な答えが妥当なトコだろうか。
恋愛はいつだってドキドキしていたい、でも結婚はいつまでも安定していたい。「恋愛イコール結婚」などという神話はとうの昔に崩れていたものの、ここまで鮮やかな好対照のキャラクターによってそれを描き切った作品はなかった。
この男性心理を鋭くつくリアリズムが、男性読者からも支持される女流漫画家として珍しい地位を占めた要因である。
「ね、セックスしよう」とカンジにもちかけるリカは、決してタテマエで自分を飾らない。好きな人でなくてもセックスはするし、好きな人がいても浮気はする。我々はあまりにも無防備で自分に正直すぎる彼女に戸惑いを覚える。
おそらく、柴門ふみは別に女性上位を謳っている訳ではないだろう。彼女はただ、男性主導の「正常位」と、女性主導の「騎乗位」の選択肢を提示しただけだ。
男というものは(特に保守的な我々日本人は)、男性主導の幻想を追い求めて女性に正常位を求める。「私は縛られたくない」と主張するリカは異質な存在なのだ。
『東京ラブストーリー』は、「騎乗位」に慣れない日本男子に突き付けられた命題である。主人公のカンジは結局リカと別れ、さとみと結婚する。これがかくあるべき姿なのであり、当然の結末なのである。カンジはリカとの別れを「いい思い出」として美的に転化させようとするが、それは単なる逃げ道でしかない。
はたしてリカは幸せになったのだろうか?実際は分からない。身勝手な男どもはただ、「きっとどこかで幸せに暮らしている」という都合のいい妄想を抱くしかない。
- 著者/柴門ふみ
- 発表年/1988年〜1989年
- 掲載誌/ビッグコミックスピリッツ
- 出版社/小学館
- 巻数/全3巻
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