タッチ/あだち充

タッチ 1 完全復刻版 (少年サンデーコミックス)

スポ根を過去のものにしてしまった、’80年代のスポーツ・ラブコメ

少年野球漫画においては、野球こそが絶対の快楽であり、野球に勝るものは一切なかった。

星飛由馬も侍ジャイアンツもドカベンも、とにかくコイツラは野球以外のことは考えていないんではないか、と思うくらいの熱血野球バカであった。だがコイツラが野球を疑ってしまたり、野球以外のものにウツツを抜かしてしまったらマンガ自体が崩壊してしまう。

だがあだち充は、野球イコール青春の全てという旧態依然とした体質を徹底的に破壊してしまった。「少年サンデー」というおよそ熱血や根性とはかけ離れた、ソフィスティケートされた都会的な少年誌 での連載というのも大きい要素であったかもしれない。『タッチ』(1981年〜1986年)においては、スポ根なるものはカッコ悪いという’80年代的な思想がストーリーを牽引していた。

可愛くて頭が良くて性格もいいという朝倉南、カッコ良くて頭が良くて野球も上手いという上杉克也、カッコ悪くて頭が悪く全てに対してやる気ゼロの上杉達也、この三人が奏でる恋愛模様を軸に物語は進行する。

「野球」とは彼等三人を結び付ける記号であり、達也も克也も「野球が好きだから甲子園に行きたい」のではなく、「南を甲子園に連れて行きたい」という思いからユニフォームに袖を通すのである。全編を通して、達也が野球そのものにモチベーションを持つ描写はみられない。

克也の死、弟の遺志を引き継ぎマウンドに立つ達也。胃にもたれるような、ドロドロした話になりかねないストーリーを救っているのがあだち充の「照れ」の感覚である。

ややドラマ的にクサくなりかけると、必ず犬のパンチが吠えたり、南のスカートがめくれたり、上杉のお父さんとお母さんのコントみたいな掛け合いが挿入されて、話を軽い方向へ滑らせていく。決定的なセリフやショットは意識的に簡略化する。この「照れの感覚」こそ、あだち充節の真骨頂なのだ。

『タッチ』が 前半に比べて後半がやや重たい感じがするのは、克也の死によって達也が「照れ」の感覚を放棄せざるを得なくなったからだ。「めんどくさい」「かったるい」という言葉で逃げていた達也が、突然明青高校のエースとしてスポ根路線に向き合わなくてはならなくなる(それでもクサイ話にはならなかったのはサスガだ)。

達也も南も、あらゆるキャラクターが「野球」というスポーツを通して人間的に成長していく。この作品においては、「野球」は二人の恋を昇華させる手段にしか過ぎない。

「もういいよ、疲れるから」という、梶原一騎が聴いたらキレまくりそうな達也の一言で、彼等にとっての野球=青春は終わる。シリアスになりそうでならない、スポ根になりそうでならない、最後までラブコメの路線で描き切ってしまった『タッチ』は、あらゆる意味で’80年代的な爽やかな作品であった。

DATA
  • 著者/あだち充
  • 発売年/1981年〜1986年
  • 出版社/小学館

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