『タッチ』──“野球神話”を終わらせた青春の再定義
『タッチ』(1981〜1986年)は、高校生の上杉達也と和也兄弟、幼なじみの朝倉南が織りなす野球漫画。双子の兄弟は野球部を通じて互いに競い合い、南との関係をめぐって揺れ動く。甲子園を目指す過程で、事故や喪失、友情の葛藤が交錯し、残された者が夢と記憶を引き継ぐ展開へ進む。
野球神話の解体──“スポ根”から“関係”へ
従来の少年野球漫画において、野球は神聖で絶対的な価値だった。『巨人の星』の星飛雄馬も、『侍ジャイアンツ』の番場蛮も、『ドカベン』の山田太郎も、野球以外の関心を持たない。
彼らにとって、野球とは人生そのもの。そして、物語における唯一の駆動装置だ。野球から離れた瞬間に、作品の存在理由そのものが崩壊してしまう。いわば野球は“宗教”なのであり、主人公たちはその信徒であった。
この構造をあだち充は『タッチ』によって根底から解体した。野球はもはや絶対的な中心ではない。むしろ人間関係や恋愛感情を媒介するツールとして、物語の周縁に位置づけられる。彼にとって野球は、情熱の対象ではなく、人間ドラマを透過させるフィルターに過ぎない。
『タッチ』は野球漫画であると同時に、野球漫画の脱構築でもある。物語の焦点は球速や勝敗ではなく、上杉達也・和也兄弟と朝倉南の三角関係にある。
野球という競技は、三人の関係性を接続するための記号的装置として存在するだけ。つまり、野球はこの作品において「動機」ではなく「媒介」なのだ。
“甲子園”が象徴する恋愛の舞台
『タッチ』の核心は、兄弟と一人のヒロインによる三角関係にある。和也は完璧なスターであり、南にとって理想の恋人像を体現する存在だ。対する達也は、無気力で皮肉屋。だが彼の優柔不断さと無関心こそが、80年代という時代の感性に見事にシンクロしていた。
「南を甲子園に連れていく」という目標は、純粋なスポーツ的目的ではない。むしろ恋愛の約束、あるいは代償的な愛の形式として存在する。野球の勝敗は重要ではない。彼らがどのようにして“南の夢”を媒介に心をつなぎとめるか──その過程こそが物語の焦点である。
この設定の妙は、野球というフィールドが、少年漫画における“恋愛の表現空間”として再利用されている点にある。つまり、甲子園は恋のメタファーであり、スタジアムは愛の舞台なのだ。
“照れ”の美学──重苦しさを緩和するリズム装置
物語が感情的高揚に傾きそうになると、あだちは必ず“照れ”を挿入する。犬のパンチの鳴き声、南のスカートがめくれる一瞬、上杉両親の軽妙なコント。これらは単なるギャグではなく、感情の過熱を抑える冷却装置として機能している。
あだち充の作品におけるユーモアは、「緊張と緩和」のリズムを形成し、物語を軽やかに保つ。観客の涙腺を刺激する直前で、必ず微笑みを差し込む。
これは、“感動の寸止め”とも言うべきあだち特有の演出法。スポ根の世界が激情と根性で構築されていたのに対し、あだちはあくまでクールな距離感の中で情緒をコントロールする。
この照れの美学は、読者に“安全な感動”を提供する。シリアスさと軽快さが絶妙に同居する空間。それはまさに、1980年代という都市文化の空気そのものだ。
中盤で訪れる和也の死は、作品のトーンを一変させる。これまでの軽快なリズムが途切れ、達也は“照れ”を放棄せざるを得なくなる。ここで初めて、物語は真正面から「喪失」と「継承」を描き始める。
しかし、あだちは決して悲劇の中に沈まない。達也の「もういいよ、疲れるから」という台詞は、悲嘆や自己犠牲の拒絶を意味している。
スポ根的な“涙の勝利”ではなく、静かな諦念と成熟による物語の着地。彼にとっての野球とは、兄の夢を継ぐ義務ではなく、南と過ごすための日常の延長線に過ぎないのだ。
この達也の姿勢こそ、80年代的ヒーロー像の象徴である。強さではなく優しさ、根性ではなく曖昧さ。彼は勝利のためではなく、誰かを想うためにバットを握る。スポーツ漫画の原理をここまで人間的に翻訳した例は、他にない。
80年代の都市感覚──“スポ根”の終焉と青春の再定義
『タッチ』が発表された1980年代は、都市文化が成熟し、根性論が時代遅れとされ始めた時期だった。社会は“熱血”よりも“クール”を好み、競争よりも調和を志向した。そんな時代において、あだち充の描く青春像はきわめて現代的だった。
彼のキャラクターたちは、勝利を目指す戦士ではなく、日常の延長で夢を見る普通の若者たちだ。スポーツは彼らにとって人生の中心ではなく、人生を彩る一要素に過ぎない。あだちはこの相対化によって、「野球=青春」という公式を解体し、恋愛と友情の物語へと置き換えた。
野球の試合はドラマを演出するための舞台装置であり、試合結果はもはや問題ではない。重要なのは、誰が誰を想い、どんな距離を保つかという人間関係の軌跡だ。そうした構造的な転換によって、『タッチ』は少年野球漫画を“関係性の文学”へと昇華させた。
『タッチ』の革命性は、野球漫画でありながら野球を中心から外した点にある。スポ根の熱血と対極にあるのは、照れ、曖昧さ、優しさといった“軽い”感情である。しかしその軽さこそ、現代的リアリズムの証左でもある。
あだち充が描いたのは、勝敗や根性ではなく、青春という時間の儚さそのものだ。野球という舞台はその象徴であり、達也のバットのスイングは、恋愛のため息と同義である。スポーツを人生の目的から解放し、恋愛と人間関係に還元したとき、少年漫画は初めて大人の感情を手に入れた。
あだち充は、『タッチ』によって“野球神話”を終焉させ、青春を再定義した。野球はもう、戦うための道具ではない。誰かを想うための、そして誰かを失った痛みを受け入れるための、静かな儀式なのだ。
- 著者/あだち充
- 発売年/1981年〜1986年
- 出版社/小学館
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