『Z』と聞くと、我らが水木一郎アニキの「ゼーーーット!」という絶叫を思い浮かべる読者諸兄もおられるかもしれないが、全く違います。ましてや、ジャッキー・チェンの『サイクロンZ』とは全く何の関係もありません。
ギリシャ出身の映画監督コスタ・ガヴラスによる、ポリティカル・サスペンスの傑作であります。第42回アカデミー賞の外国語映画賞、第22回カンヌ国際映画祭の審査員賞、第4回全米映画批評家協会賞の最優秀作品賞を受賞するなど、内外の評価も極めて高い作品だ。
「この映画はフィクションです。実際の人物、団体、事件などとは一切関係ありません」というエクスキューズはよくお目にかかるが、「現実の事件や人物との類似は意図的なものです。
コスタ・ガヴラス、ホルヘ・センプルン」という決意表明がシナリオを手がけた二人の名前入りで紹介されるというのは、まず見たことがない。うーむ、画面の隅々からコスタ・ガヴラスの並々ならぬ熱気が伝わってくるようだ。
そもそもこの作品、1963年5月にギリシャで野党議員グレゴリオス・ラムブラキスが暗殺されるという事件を題材にした、ヴァシリ・ヴァシリコスの小説を映画化したもの。
彼はミサイル配備を強硬に反対した平和主義者だったが、左派の弾圧を押し進めた軍部の策謀によって死亡。
以降、ギリシャは軍事独裁政権が統治するようになる(この独裁体制は、国民投票により君主制から共和制に移行する1974年まで続いた)。
『Z』は1969年の作品だから、公開当時コスタ・ガヴラスの祖国ギリシャは思いっきり軍事独裁政権下だった訳で、これはフランスより送り届けられた告発状とでもいうべきシロモノだろう。
オリバー・ストーンの『JFK』(1991年)のごとく、エンターテインメント作品としての骨格を保ちながらも、怒りが画面全体を支配している。例えは悪いけど、熱弁をふるうコスタ・ガヴラスのツバがガンガン観客に降りかかってくるような、激しい衝動に突き動かされた映画なのだ。
イヴ・モンタン演じるZが敵対するデモ隊に向かって歩いて行くと、海を真っ二つに分けたモーゼのように、威風堂々とした彼の佇まいに圧倒されて群衆たちが彼らの道を作る、なんてシーンでも明らかなように、演出そのものは別段リアリティーを目指している訳ではない。
警察組織の要人たちが思慮浅くて品が悪く、絵に描いたようなステレオタイプの悪人として描かれていることにもそれは顕著だ(イヴ・モンタンやジャン・ルイ・トランティニャンの知的でスマートな物腰とは好対照だ)。
国家警察による言論・自由の弾圧というテーマを、鋭利なナイフでメスを入れ、分かりやすい娯楽作品に仕立て上げる手腕は素晴らしいと思うが、Z議員という役に対してあまりにリスペクトが強かったせいか、回想シーンが情緒的なだけで全く意味不明という事態も引き起こしており、ムラの強さも感じる。
ファンは、そこも含めて力づくで押し通してしまうコスタ・ガヴラスの馬力に賞賛の声を上げるのかもしれませんが。
《補足》
棍棒で頭を殴ったり、自動車で轢き殺そうとしたりするんだけど、なんで彼らは拳銃を使わないんだろうね。一番確実なやり方だと思うんだけどなあ。どーでもいいことかもしれませんが、妙にそれが気になってしまった。
- 原題/Z
- 製作年/1969年
- 製作国/アルジェリア、フランス
- 上映時間/127分
- 監督/コスタ・ガヴラス
- 脚本/コスタ・ガヴラス、ホルヘ・センプルン
- 製作/ジャック・ペラン
- 原作/ヴァシリ・ヴァシリコス
- 撮影/ラウール・クタール
- 美術/ジャック・ドヴィジオ
- 音楽/ミキス・テオドラキス
- 衣装/ピート・ボルシェ
- イヴ・モンタン
- イレーネ・パパス
- ジャン・ルイ・トランティニャン
- ジャック・ペラン
- シャルル・デネール
- フランソワ・ペリエ
- ジョルジュ・ジェレ
- ベルナール・フレッソン
- マルセル・ボズフィ
- レナート・サルヴァトーリ
- マガリ・ノエル
- ジャン・ブイーズ
最近のコメント