スピルバーグがコスモポリタンとしてネクスト・レベルに達した作品
明らかにスピルバーグは、この『ミュンヘン』(2005年)で新たなフェーズに突入したと思う。
良くも悪くもこのキング・オブ・ハリウッドは、何よりも自分自身のために映画を撮り続けてきた。『ジョーズ』(1975年)や『宇宙戦争』(2005年)、『インディ・ジョーンズ』シリーズといった娯楽大作は言うに及ばず。
『シンドラーのリスト』(1993年)はユダヤ人たる自分のアイデンティティーを見つめなおすためにつくられたものだし、『プライベート・ライアン』(1998年)はノルマンディー上陸作戦をいかに生々しく再現できるか、という職人的発想に基づいて製作された作品である(たぶん)。
だが『ミュンヘン』は、よりアクチュアルな映画の作用にウェイトが置かれた作品だ。端的に言えばメッセージ性が強いということになってしまうのだけれど。実際、スピルバーグはあるディスカッションの席上で、
「ブッシュ政権が2期目に入ってから、映画製作者は以前よりもずっと、主体的になったような印象を受ける」
という趣旨の発言をしている。
この「映画製作者」には明らかに彼自身も含まれている訳で、アメリカのアメリカによるアメリカのためのグローバリゼーションが蔓延する今日現在、彼が表明した政治的な立ち位置は極めて重要な意味を持ってくる。
何てったって、ミュンヘン五輪で「黒い9月」を名乗るパレスチナ・ゲリラに選手を殺されたイスラエルが、報復のためにパレスチナ人11人暗殺を命じた、という実話の映画化である。
正義を妄信して一人また一人と暗殺を遂行していくも、報復は新たな敵と憎悪を生み出し、終わりのない哀しみの円環にはまっていく…というオトシマエの付け方は、拳を振り上げながら「テロには断固戦う」と絶叫したジョージ・W・ブッシュへの、声高ではないけれども毅然とした異議申し立てではないか。
という訳で、俄然スピルバーグの演出も気合い入りまくり。ズーム(もしくは移動撮影)の多用、極端な俯瞰・仰角アングルの選択など、’70年代のスパイアクション映画を明らかに意識。
銃弾を受けてトマトジュースが地面に落ちて割れ、その水面に薬莢を拾うキーラン・ハインズが映り込むシーンなんぞ、暴力描写すら感傷的に昇華させてしまうスピルバーグ・タッチの洗練を感じさせる。
撮影監督としてスピルバーグと長年タッグを組んでいる盟友ヤヌス・カミンスキーも、今作では素晴らしい仕事をしていると思う。正直言って、『宇宙戦争』や『マイノリティ・リポート』(2002)といった過去の娯楽大作においては、作品の指向性と撮影スタイルがマッチしていない印象だった。
しかし『フレンチ・コネクション』(1971年)、『マラソンマン』(1976年)、『ブラック・サンデー』(1977年)など、70年代サスペンス映画の系譜を次いだ『ミュンヘン』の粒子の粗いダークな質感(一部フラッシュバック場面では銀残しを使用している)にはシビれまくり。この手触りは近年のハリウッド映画にはなかったものだ。
さらに言及するなら、かつてのスピルバーグでは考えられないぐらいにセクシャルで扇情的なショット(陰毛丸出しな女殺し屋のヌードなど)をインサートしている点も特筆に値しよう。
クライマックスなんぞ、主人公のセックスシーンとイスラエル選手団の大量殺戮シーンをカットバックで繋げるという、常人には思いもよらぬ演出である。
あからさまな性描写を避けてきたスピルバーグが、本気のセックスシーンを、しかもドス黒い禍々しさを感じさせつつ描くというのは、相当な覚悟だったんではないか。
「ハリウッド映画としてはよくできた作品だが、メッセージ性という点では、不確実で疑問が残る」
「イスラエルの情報機関モサドのエージェントと、パレスチナのテロリストのモラルを不正確に同一化している。数十年にわたる痛々しい闘争を、見かけだおしで取り扱おうとしている」
等といったネガティブな批評も続出なこの『ミュンヘン』だが、僕はスピルバーグが映画監督としてではなく、コスモポリタンとしてネクスト・レベルに達した作品として評価したい。
この映画には、現在のアメリカが抱える象徴的恐怖が潜んでいる。
- 原題/Munich
- 製作年/2005年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/164分
- 監督/スティーヴン・スピルバーグ
- 製作/スティーヴン・スピルバーグ、キャスリーン・ケネディ、バリー・メンデル、、コリン・ウィルソン
- 脚本/トニー・クシュナー、エリック・ロス
- 原作/ジョージ・ジョナス
- 撮影/ヤヌス・カミンスキー
- 美術/リック・カーター
- 音楽/ジョン・ウィリアムズ
- 衣装/ジョアンナ・ジョンストン
- 編集/マイケル・カーン
- エリック・バナ
- ダニエル・クレイグ
- サイアラン・ハインズ
- マチュー・カソヴィッツ
- ハンス・ツィシュラー
- アイレト・ゾラー
- ジェフリー・ラッシュ
- ジラ・アルマゴル
- ミシェル・ロンズデール
- マチュー・アマルリック
- モーリッツ・ブライブトロイ
- ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ
- メーレト・ベッカー
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