明快すぎるエピソード&ベタな映画的表現で組み立てられた、黒沢清の新しい映画的地平
長野在住のサブカル好事家T氏から、「黒沢清の『トウキョウソナタ』、マジやばいっすよ!映画好きでこれを観ないなんてあり得ませんよ!ゼロ年代最高の日本映画ですよ!」と興奮冷めやらぬ様子の電話をもらったので、これは何をおいても観なければならんと思い、押っ取り刀で恵比寿まで駆けつけてみた。
余談ですが、恵比寿ガーデンホールでたまたまTBSドラマ『スキャンダル』撮影中の長谷川京子に遭遇。あまりの絶世の美女ぶりに、ダンナであるポルノグラフィティの新藤晴一に激しい憎悪を燃やすなり。
ま、それはどうでもいいとして、映画館のスクリーンに映し出されたのは、確かに圧倒的なまでに映画的豊穣さに満ちた傑作だった。
映画的豊穣さとは、映像の陶酔感と換言してもいい。特に縦割りの垂直性のある構図が、ショットの豊かさを保証している。
一例をあげれば、線路際の少し古びた一軒家に、父親・香川照之と次男(井之脇海)がY路路で出くわして一緒に坂を上って行くシーン。単に「上る」と「交差する」というアクションのみで構成されたシンプルなフィックスのショットだが、暗喩的な有意に満ちている。
大手商社をリストラされた香川照之が、薄暗い照明と薄汚い壁に囲まれたハローワークに逃げ込むシーン、津田寛治が、まるで黄泉の国への行進のようなホームレスの行列にくっついて去って行くシーン、強盗に連れ去られたあと、小泉今日子が放心した表情で朝焼けの海をバックにとぼとぼと歩くシーン。いずれも映画的な高揚感に溢れ、我々の心を鷲掴みにする。
余談だが、波打ち際にタイヤの跡が残っている絵だけを見せて、役所広司が海に向かってクルマを走らせて入水自殺をはかったことを示すシーンは、どことなく北野武っぽい省略のセンスを感じた。
悪い言い方をしてしまえば、『トウキョウソナタ』は明快すぎるほどのメタファーで組み立てられた映画とも言える。俗っぽいぐらいに映画的な構図、映画的なセリフ、映画的なロケーション、映画的なドラマツルギーを持ち込んでいるために、そのリアリティーは極めて虚構的。
そもそも大学生の長男タカシが、自分探しの為に米軍に入隊するというエピソードからして、ひとつひとつの物語が寓意的であることは明らかだろう。家族の再生が、事故死したはずの香川輝之による文字通りの“再生”によってもたらされるというシーンにいたっては、もはや何を云わんやである。
しかし本作は、明快すぎるエピソード、ベタな映画的表現を臆面もなくスクリーンを照射したからこそ、今までの黒沢清作品にはなかった映画的地平が拓かれている。
『トウキョウソナタ』には、『アカルイミライ』(2002年)のように多様な読みは存在しない。物語は、我々を迂回させることなく、ひとつの目的地に向かって力強く着地させる。
これは頑強なまでに“エイガ”によって塗り固められた、あまりに純粋すぎる“エイガ”なのだ。
- 製作年/2008年
- 製作国/日本
- 上映時間/119分
- 監督/黒沢清
- 脚本/マックス・マニックス、黒沢清、田中幸子
- 製作総指揮/小谷靖、マイケル・J・ワーナー
- 製作/木藤幸江、バウター・バレンドレクト
- 撮影/芦澤明子
- 照明/市川徳充
- 音楽/橋本和昌
- 美術/丸尾知行、松本知恵
- 香川照之
- 小泉今日子
- 小柳友
- 井之脇海
- 井川遥
- 児嶋一哉
- 津田寛治
- 役所広司
最近のコメント