『突入せよ! あさま山荘事件』(2002年/原田眞人)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
「『突入せよ! あさま山荘事件』(2002年)は、原田眞人監督による実録サスペンスの最高峰。1972年に発生した連合赤軍の立てこもり事件を、現場指揮官・佐々淳行の視点から描く。本記事では、警察内部のセクショナリズムや過酷な環境下での決断など、国家を揺るがした10日間の攻防をネタバレありで徹底考察/解説し、その魅力と問題点をレビューする。
思想の漂白と、警察官僚の「プロジェクトX」化
1973年生まれの僕にとって、その前年の1972年2月19日に発生した「あさま山荘事件」は、リアルタイムで熱狂を共有した出来事ではない。全共闘の熱気も、学園闘争のダイナミズムも、血で血を洗うイデオロギーの衝突も、すべては歴史の教科書からしか想像できない代物だ。
だからこそこの事件を語る際には、まず連合赤軍という組織が抱えていた思想の暴走と自壊という理路へ立ち返らざるを得ない。彼らは「総括」という名のもとに山岳ベースで12人もの同志を集団リンチで殺害し、破れかぶれの状態で軽井沢のあさま山荘に人質を取って立てこもった。あまりにも凄惨な地獄絵図である。
革命という言葉が完全に死絶し、若者の政治離れとシラケ世代の台頭を決定づけた転換点。1973年生まれの僕が感じる「あさま山荘事件」への奇妙な距離感は、あの10日間で日本社会そのものがパラダイムシフトを起こし、熱狂の時代から静かな無関心の時代へと移行した、まさにその境界線に立っているからなのかもしれない。
だが、原田眞人監督の『突入せよ! あさま山荘事件』(2002年)は、驚くべきことにこの政治的背景や連合赤軍の思想的異常性を、これでもかというほど徹底的に削ぎ落としている。
この大胆な省略は、確かに物語の効率化としては機能している。だがその一方で、観客は事件を「イデオロギーの終焉を告げる政治の物語」としてではなく、単なる「硬直した警察組織の官僚的ドラマ」として受け取らざるを得なくなるのだ。
思想の枝葉が乱暴に剥ぎ取られた後に残るのは、警視庁と長野県警のくだらない縄張り争い、縦割り行政の弊害、そしてメンツとプライドの衝突。まるで、どこにでもあるようなサラリーマンの企業内力学だ。
映画はひたすらその組織論的視点から、異常なスピードで加速していく。一見すると事件の構造をエンタメとして純化したように見えるが、実際には政治的文脈が消滅したことで、逆に日本の警察組織のどうしようもない独善的体質と、権力機構の複雑な内部摩擦ばかりがグロテスクに強調されるという、かなり歪な構造に陥っている。
佐々淳行という絶対的英雄の自己顕示
この映画が執拗に描くのは警察組織の内部構造であり、その中心に鎮座するのが、役所広司演じる現場の指揮官・佐々淳行である。
彼は無能な上層部と現場の反発を華麗に捌き、マスコミ対策を完璧に施し、命令系統を維持し、部下の士気を鼓舞し続ける、非の打ち所のないパーフェクト・リーダーとして造形されている。
だが、そのあまりにも強固すぎる英雄像は、原作者である佐々本人の経験に基づく武勇伝であるがゆえに、強烈な自己顕示の匂いを画面の端々から漂わせてしまう。
佐々が有能な官僚だったことは事実だろう。しかし映画で、「彼だけが常に正しく、彼だけが突破口を切り開いた」という構図を作り上げてしまうことは、歴史が本来持っている複雑さや、名もなき他者の貢献を乱暴に押し流し、視点の偏りを露骨に浮かび上がらせてしまう。
ハッキリ言ってしまえば、映画を観ているというより、飲み屋で「あの事件を解決したのは俺なんだぜ!」という上司の自慢話を延々と聞かされているような、奇妙な窮屈さを感じてしまうのだ。
この単線化されたヒロイズムは、映画のサスペンスを高める一方で、リアリズムを著しく損なう。捜査会議のシーンでは、役者たちはなぜか新劇風のオーバーアクトで声を張り上げ、緊迫しているはずの作戦本部が、まるで大仰な舞台劇の空間へと変質している。
この不自然な演技合戦は、作品が持つべき本来の緊張感を別の方向へ逸らし、観客に「芝居を見せられている」という冷めた感触を抱かせてしまう。
映画が描くべきは国家装置の軋みと、命が削られる極限の消耗戦であるはずなのに、演出の過度なドラマ化がその歴史の苦味を完全に中和してしまっているのだ。
ハリウッド的編集がもたらす、死の軽量化
原田眞人の最大の持ち味は、圧倒的な情報量を超高速のカッティングで捌いていくハリウッドライクな速度感にある。
この映画にもその持ち味は遺憾なく発揮されているが、その速度はあさま山荘事件の持つ重苦しい政治性をえぐり出すためではなく、むしろ凄惨な現実の事件を、消費しやすいエンターテインメントとして処理するという方向に働いてしまっている。
人質が極寒の山荘で危険に晒され、すでに前線の警察官や民間人に犠牲者が出ている状況にもかかわらず、作戦決行を前にしてなぜか軽快なマーチ風の音楽が鳴り響くという違和感はどうだ!事件の凄惨な現実と、映画が目指すエンタメ的調子との間に、修復不可能な奇妙な断層を生み出している。
ここで示されているのは、ジョン・マクティアナン監督の『ダイ・ハード』(1988年)にも通じるような、ハリウッド・アクション映画特有の「死の軽量化」だ。死や暴力が、物語をスリリングに転がすための単なる燃料として処理されてしまっている。
このハリウッド的な世界観を、多くの血が流れた日本の実在の事件へとそのまま転写してしまったことで、歴史が持つ重層的な悲劇性は、表層的でスカッとする「見せ場」へと見事に還元されてしまった。
原田の狙いを推測すれば、事件を湿っぽい政治的読み込みから解放し、純粋なポリティカル・サスペンスとして成立させようという野心だったのだろう。だが、その選択は結果として“現実の痛み”からの距離を取りすぎてしまい、事件の複雑な背景を真っ白に漂白してしまったのだ。
高速編集、過剰に英雄化された中心人物、そしてマーチによる不謹慎なまでの昂揚。これらは確かに一本の映画としての瞬間的な興奮を生み出す。
だが、あらゆる暴力を「システムを維持するためのアクション」に還元してしまったとき、この映画は歴史の重圧に耐えきれず、観客の視線を巨大な迷いの中へと放り出してしまう。
日本の歴史的事件をハリウッド的速度で語るという試みは、見事なエンタメを生み出すと同時に、歴史のリアルを殺容してしまうという、あまりにも危険な劇薬だったのだ。
- 監督/原田眞人
- 脚本/原田眞人
- 製作/原正人
- 制作会社/アスミック・エース、東映、エース・ピクチャーズ
- 原作/佐々淳行
- 撮影/阪本善尚
- 音楽/村松崇継
- 編集/上野聡一
- 美術/部谷京子
- 衣装/宮本まさ江
- 録音/中村淳
- 突入せよ! あさま山荘事件(2002年/日本)
- 魍魎の匣(2007年/日本)
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