『ザ・キラー』の考察/解説レビューをCINEMOREに寄稿しました

『ザ・キラー』暗殺者を自分に重ね合わせた、フィンチャー流仕事論 ※注!ネタバレ含みます」という考察/解説レビューをCINEMOREに寄稿しました。

ヘッドフォンで音楽を聴いていたトム(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)に、サマー(ズーイー・デシャネル)が「わたしもザ・スミスが好き」と声をかけることをきっかけにして、映画『(500)日のサマー』(09)の恋の物語は忙しく回転し始める。80年代を竜巻のように駆け抜けていったザ・スミスというバンドは、内省的なリリックと繊細なギター・サウンドで、マッチョイズムとしてのロックを根本から破壊してみせた。ザ・スミスを愛聴する男子は内向的なカルチャー系であり、ザ・スミスを愛聴する女子は、そんな彼らを救済するミューズのような存在。彼らの音楽は、ある種の記号性を纏っている。

デヴィッド・フィンチャー監督の『ザ・キラー』(23)で、マイケル・ファスベンダー演じる謎の暗殺者もまた、ひたすらザ・スミスを聴き続けている。「計画通りにやれ、予測しろ、即興はするな」という俺ルールを唱えながら、「How Soon Is Now?」や「Bigmouth Strikes Again」や「I Know It’s Over」をヘビロテする。そしてデヴィッド・フィンチャー自身、彼らの音楽を愛聴し続けてきたファンだった。

ぜひご一読ください!

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