ブラック・ジャック/手塚治虫

現実世界の不条理を医療を通して描いた、手塚治虫の復活作

’70年代のはじめ、手塚治虫は不調だった。さいとうたかをに代表される劇画ブームの波に呑まれ、ヒューマニズムを前面に押し出した手塚漫画は古臭いもの、と烙印を押されてしまっていたのだ。

少年誌での連載は激減し、読者からはソッポを向かれる。しかも虫プロが倒産し、4億円もの負債まで抱えていた。手塚治虫は、マンガ家生活で最大のピンチを迎えていたのである。

マンネリだマンネリだと読者の手紙が殺到し、なにを描いても評判が悪く、しかも助手は劇画に熱中する。
(手塚治虫『ぼくはマンガ家』より)

そんななか、少年チャンピオンの新編集長に就任した壁村耐三が、手塚治虫の新連載を宣言。編集者を呼んで、「手塚の死に水を取ってやろう」という物凄いセリフをカマした、というのは今では伝説的エピソード。壁村は、自らの手で手塚治虫に引導を渡そうとしていたんである。

そして、「漫画家生活30周年記念作品」という触れ込みでスタートしたのが『ブラック・ジャック』(1973年〜1983年)。無免許の天才外科医を主人公に、「生命とは何か」という、とてつもなく重いテーマを扱った作品だ。そしてこれをきっかけにして、手塚治虫は第一線に復活してしまうのである。

ブラック・ジャックはビジネスライクに徹する医者だ。彼は医者としての興味を満たす難病を抱える患者か、大金をはたく大富豪しか相手にしない。ヒューマニズムなどという甘ったれた道徳観なんぞナッシング。彼が一人の命を救ったとしても、世界のどこかで何万という人間が死んでいく。

救われる者と、救わられざる者との境界線はどこにあるのか。ブラックジャックは、そこに「善悪」などという曖昧な価値観ではなく、「金」という単純明快なボーダーラインを設定した。明確な線引きをすることで、彼自身も医者としての苦悩から救われる。

大阪大学医学部を卒業し、医者としてのライセンスを持つ手塚は、終生「生命」という問題に真正面からぶつかってきた。「生命」を神の視点から描いた作品が『火の鳥』とするなら、『ブラック・ジャック』はヒューマニズムの視点から成り立っている。

だからこそ軋轢や葛藤が生じ、ドラマが生成される。生死の狭間でもがき苦しむブラック・ジャックは、手塚治虫その人の苦悩でもある。だからこそこの作品は人間的で、だからこそ感動的なのだ。

あるテレビ番組で、司会者がゲスト出演していた手塚にこんな質問をした。

「先生の作品はどうして人がよく死ぬんですか?」
「それは、現実に人がたくさん死んでいるからですよ」

手塚は別にアンチモラリストではない。現実世界の不条理をそのまま描いただけだ。『ブラック・ジャック』を読むたび、僕は理想と現実のギャップに苛立ちを覚える。救いようのないような、寂寥とした寂しさは、今僕らが足をつけているこの現実世界そのものだ。

DATA
  • 著者/手塚治虫
  • 発表年/1973年〜1983年
  • 掲載誌/週刊少年チャンピオン
  • 出版社/秋田書店
  • 巻数/全25巻

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