『ビフォア・ミッドナイト』──夫婦というフィクションの中で生きる
『ビフォア・ミッドナイト』(原題:Before Midnight/2013年)は、リチャード・リンクレイター監督による“時間の三部作”の完結編である。ギリシャの海辺で再会したセリーヌとジェシーは、恋の理想から現実の生活へと移り変わる中で、愛の持続を模索する。会話と沈黙が交錯する日常の中に、時間と関係の真実が静かに刻まれていく。
恋愛ではなく、時間をめぐる物語として
親愛なるジュリー・デルピー様。
ご無沙汰しております。竹島ルイです。あの『ビフォア・サンセット』(2004年)から早くも九年。ついにお二人の物語が帰ってきました。劇場で『ビフォア・ミッドナイト』(2013年)のタイトルがスクリーンに映し出された瞬間、私の胸は高鳴り、まるで旧友に再会したかのような感情に包まれました。
年月は残酷に見えて、その実、貴女に新たな美しさを与えていたように思います。若さの輝きは落ち着きに変わり、理想は静かな知恵へと昇華している。
少しふっくらとした頬に刻まれた微かな陰影さえ、時間を生きる人間の証のようで、貴女がこのシリーズの中で「時間」そのものを演じてきたことを、改めて実感いたしました。
『ビフォア・ミッドナイト』は、恋の続編ではありません。むしろ、時間という概念が主題になっています。ギリシャの海辺で、かつて情熱的に恋を交わした二人は、もはや日常の波の中に生きている。かつてウィーンで語り合った夢や未来は、いまや現実の重みを持って目の前に現れています。
リチャード・リンクレイター監督は、この三部作を通じて“時間の映画”を作り続けてきました。『サンライズ』では出会いを、『サンセット』では再会を、そして本作では「持続」を描く。
恋が始まり、続き、摩耗していく過程を、リアルタイムに生きる俳優の身体に刻み込むという奇跡的な実験。貴女はその中心で、演じることと生きることの境界を限りなく曖昧にしています。
ギリシャの午後──結婚という対話の劇場で
本作の前半、貴女とイーサン・ホーク演じるジェシーは、さまざまな世代のカップルたちと昼食を囲み、愛や結婚について語り合いますね。
恋を知らない若者、結婚生活に疲れた中年、そして長年連れ添った老夫婦。世代ごとの視点が交錯する中で、セリーヌは辛辣で、そして優しい。皮肉を込めてフェミニズムを語り、母として、恋人として、女としての自己を冷静に見つめています。
貴女の語り口は常に知的でありながら、どこか茶目っ気に満ちています。あの穏やかな笑みの下で、世界の不均衡をきちんと笑い飛ばすユーモア。まるで人生の複雑さそのものを、言葉のリズムで包み込むようです。
映画に流れる空気は穏やかで、しかしその会話の奥には、愛と時間の本質をめぐる深い哲学が流れているように思えました。
生活の延長としての身体
正直に申し上げます。ホテルでのシーンを拝見したとき、小生は息を呑みました。久々の夜を過ごそうとする二人が、ふとした会話の綻びから激しい口論へと転じる。貴女は裸のまま怒りをぶつけ、羞恥の影さえ見せない。その姿は挑発的ではなく、むしろ痛々しいほどに真実でした。
あのヌードは、性的ではなく現実的。肉体はもはや欲望の対象ではなく、日常の風景の一部としてそこに在る。洗濯物と同じように、家具と同じように、貴女の身体は“生活の一部”として描かれているのです。
そこに、リンクレイターと貴女が長年追い求めてきたリアリズムの到達点を見ました。貴女の裸身は、愛の象徴ではなく、時間の証明。傷つき、疲れ、しかしそれでもなお息づく人間そのものです。
最も胸に残ったのは、ラストの和解のシーンでした。激しい言葉の応酬の末、二人は静かに、もう一度語り始める。そこにはロマンチックな再生も、甘い誓いもありません。ただ、“演じる”という行為の尊さがあるだけです。
貴女とイーサンが演じるセリーヌとジェシーは、もはや本当の意味での恋人ではなく、“夫婦という役”を演じる俳優なのだと思いました。けれど、その演技がある限り、愛は生き続ける。
誰もがそれをフィクションと知りながら、信じるふりをして生きる。映画もまた、そうした虚構の延命装置なのかもしれません。貴女の瞳に映る静かな諦念と慈しみは、その事実を美しく証明していました。
ジュリー・デルピーという思想──知性と時間を演じる人
シリーズを通じて、貴女は単なるヒロインではなく“共作者”として存在してきました。脚本家としての筆致、哲学的な会話のリズム、そして自らの年齢を正面から受け止める勇気。
貴女は映画を、女性の生き方のアーカイブに変えてしまった。若き日の理想から、成熟、そして老いへ――その全てを受け入れる姿勢に、私は何度も心を打たれました。
貴女は恋を演じながら、同時に時間を演じている。だからこそ、この映画はただの恋愛映画では終わらない。観客は貴女の言葉の中に、自分自身の人生の影を見つける。そうした意味で、貴女は“時間を具現化する女優”であり、映画という時の装置に最もふさわしい存在だと感じています。
ジュリー、どうかお元気で。『ビフォア・ミッドナイト』は、終わりではなくひとつの区切りにすぎません。愛が終わっても、人生は続き、そしてまた会話が始まる。九年後、もし再び新作が生まれるなら、私はきっとその劇場にいます。貴女の声を、笑顔を、そして沈黙を見届けたいのです。
十八年という時間を、貴女とともに生きてこられたことを、心から誇りに思います。これからもどうか、映画という時間の中で呼吸し続けてください。
草々
竹島ルイ
- 原題/Before Midnight
- 製作年/2013年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/109分
- 監督/リチャード・リンクレイター
- 脚本/リチャード・リンクレイター、イーサン・ホーク、ジュリー・デルピー
- 製作/リチャード・リンクレイター、クリストス・V・コンスタンタコプーロス、サラ・ウッドハッチ
- 製作総指揮/ジェイコブ・ペチェニック、マーティン・シェイファー、、リズ・グロッツァー、ジョン・スロス
- 撮影/クリストス・ヴードゥーリス
- 編集/サンドラ・エイデアー
- 音楽/グレアム・レイノルズ
- イーサン・ホーク
- ジュリー・デルピー
- シーマス・デイヴィー=フィッツパトリック
- ジェニファー・プライアー
- シャーロット・プライアー
- ウォルター・ラサリー
- ゼニア・カロゲロプールー
- アリアーヌ・ラベド
- ヤニ・パパドプロ
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