恋愛劇において最も有効なシチュエーションとは、愛する者同士の文化・人種・宗教・階級に対立軸を導入することである。
あまりに定番すぎるこのフォーマットに、終始こだわり続けてきた映画作家がピーター・ウィアーであることは間違いない。
『トゥルーマン・ショー』(1998年)ではブラウン管のこちら側と向こう側の恋を、『グリーン・カード』では永住権のないフランス人とアメリカ人の恋を、そしてこの『刑事ジョン・ブック/目撃者』(1985年)では文明社会から一線を画し、今なお電気もガスも使わない質素な生活を続ける信徒一派アーミッシュの未亡人と、暴力が吹き荒れる世界に身を置く刑事の恋が描かれる。
ペンシルバニア州ののどかな田園地帯で綴られるアーミッシュのシンプルな暮らしぶりは、ハリソン・フォードが住む世界との強烈な映像的対比となる。特に村人が総出で納屋を建てるシーンの、何と言う多幸感。ルーカス・ハースに連れられて水車を眺めるシーンの、何と言う安穏さ。
『刑事ジョン・ブック/目撃者』が異者同士のラブストーリーとして成立させるためには、このような描写が不可欠となる。『イングリッシュ・ペイシェント』でアカデミー撮影賞を受賞したジョン・シールの、見事な撮影技術に敬服するのみ。
脚本も素晴らしい。最後にジョセフ・ソマー演じる義父がつぶやく「英国人に気をつけろ」というセリフが、ハリソン・フォードを家族の一員として承認したことを暗示させると共に、冒頭でも全く同じセリフを吐いていることから、美しい円環構造として着地させているのは気が利いている。
何と言っても衝撃的なのは、ハリソン・フォードがケリー・マクギリスに対してつぶやく「君を抱いたら帰れなくなる」という一言だ。
二人はすでに相違相愛の関係にあることが前提の告白だが、お互いの恋愛感情が高まっていく過程は一切セリフでは提示されない。
我々が目撃するのは、カーラジオから流れるオールディーズをBGMにして納屋で踊るシーンであり、ケリー・マクギリスのヌードを見つめるハリソン・フォードの姿である。
アイ・コンタクトのみで綴られる禁欲的な情感、それを丁寧にしっとりと映像に収めていくピーター・ウィアーの手腕は、彼の作家的資質と相まって素晴らしい。
フランス音楽界の巨匠モーリス・ジャールの音楽による、静謐な美しさをたたえたサウンドトラックもグレート!『史上最大の作戦』(1962年)、『アラビアのロレンス』(1962年)、『ドクトル・ジバゴ』(1965年)、『地獄に堕ちた勇者ども』(1969年)など、これまでスケールの大きい壮大なスコアを書いてきた彼だが、この作品ではシンセサイザーを大胆に使って、シンフォニックかつアンビエントな作品世界を構築している。
初めて聴いた時は、てっきりヴァンゲリスの作品だと思ってしまったほどだが、彼の実子にして音楽家のジャン・ミッシェル・ジャールが、シンセサイザーやサンプラーを駆使している影響もあるのかもしれない。
告白すれば、僕はこの映画の大ファンである。どのくらい大ファンかと言うと、ペンシルヴァニア州のアーミッシュ村見学ツアーに参加してしまったくらいのファンである。
しかしアーミッシュからすれば、それは明らかに「迷惑な異者の闖入」な訳だがら、僕のようなミーハーが来るのは迷惑千万なんだろうなーと思っていたら、「ようこそアーミッシュの村へ」なんて歓迎幕が出されていて、完全に観光地状態。
思いっきり電話もひかれているし、アーミッシュお手製アイスクリームなんかも売り出されていたし(美味でした)。うーむ、時代は移り変わっていくのだなあ。
《補足》
ラップ母子に暖かい眼差しを向ける心優しきアーミッシュ、ダニエルを演じるのはアレクサンダー・ゴドノフ。『ダイ・ハード』(1988年)で、弟を殺された恨みを晴らさんとブルース・ウィリスを鬼神のごとく追いかけ回した、あの金髪のテロリストである。
麻薬に手を染めた悪徳刑事マクフィーを演じるのはダニー・グローヴァー。『リーサル・ウェポン』(1987年)でメル・ギブソンとコンビを組むベテラン刑事マータフ役でお馴染みである。
アメリカを代表する刑事アクション映画で、どちらも本作と真逆の役柄を演じているのは面白い。
- 原題/Witness
- 製作年/1985年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/113分
- 監督/ピーター・ウィアー
- 製作/アエドワード・S・フェルドマン
- 原案/アウィリアム・ケリー、アール・W・ウォレス、パメラ・ウォレス
- 脚本/ウィリアム・ケリー、アール・W・ウォレス
- 撮影/ジョン・シール
- 音楽/モーリス・ジャール
- ハリソン・フォード
- ケリー・マクギリス
- ルーカス・ハース
- ダニー・グローヴァー
- ジョセフ・ソマー
- アレクサンダー・ゴドノフ
- ジャン・ルーブス
- パティ・ルポーン
最近のコメント