『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』の考察/解説レビューをCINEMOREに寄稿しました

『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』フィルム・ノワールを纏った、疑似家族の物語」という考察/解説レビューをCINEMOREに寄稿しました。

『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』(76)は、奇妙すぎるフィルム・ノワールだ。“インディペンデント映画の父”と称されたジョン・カサヴェテスが手がけている時点で、一筋縄ではいかないことは自明の理なのだが、それにしても奇妙すぎる。何というか、外殻は確かにノワール的なるものに覆われているのだが、その核となる部分が全く違う方向を向いているような感触なのだ。

そもそもフィルム・ノワールとは、“黒い映画”という意味のフランス語。映画批評家ニーノ・フランクが、40年代にアメリカで作られていた犯罪映画を“Film Noir”と呼んだことが起源だと言われている。ジョン・ヒューストン監督の『マルタの鷹』(41)、オットー・プレミンジャー監督の『ローラ殺人事件』(44)、ビリー・ワイルダー監督の『深夜の告白』(44)…。そこには殺人があり、裏切りがあり、運命の女<ファム・ファタール>の存在があった。強烈な光と闇のコントラストに彩られ、虚無的な物語が綴られたのである。

では、『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』はどうか。「ナイトクラブの支配人コズモ・ヴィッテリ(ベン・ギャザラ)がポーカーで多額の借金を背負い、借金を帳消しにする代わりに、ギャングから中国人ノミ屋を殺すよう命じられる」という筋書きだけを見れば、確かにまごうことなき犯罪映画だ。粒子の荒いザラついたルック、極端に陰影をつけた色調も、ノワール的な蠱惑に満ちている。ジョン・カサヴェテス自身もこの映画を、ギャング・ストーリーと表現しているくらいだ。

ぜひご一読ください!

アーカイブ

メタ情報

最近の投稿

最近のコメント

カテゴリー