激しい嫉妬心と自己顕示欲。哀しき中年ストーカー男の悲劇
『アマデウス』(1984年)は、“嫉妬”の映画だ。
オトコなんてものは、「俺様が一番」だと思っている自己顕示欲の強い動物であるからして、己の存在を高らかに誇示することにより、オスとしての威厳を保とうとするもの。しかしその自己顕示欲は激しい嫉妬心と表裏一体。マッチョなオトコほど、雄々しさと女々しさが同居しているものなのだ。
女性の嫉妬も厄介だが、男の嫉妬は輪をかけて厄介。しかもその嫉妬の対象は女性に向けられるものではなく、モーツァルトの音楽的天稟に対して向けられるのだ。
敬虔な音楽家サリエリは、文字通り身も心も音楽に捧げた人物。そんな彼が、モーツァルトという気品のカケラもないファック野郎に、神が天賦の才能を与え給うたことに激しいショックを受ける。
そのショックはやがて嫉妬に、嫉妬はやがて憎悪に変質。モーツァルトの才能を人一倍理解できたが故に、サリエリは己の凡才に悲嘆するんである。
やがてサリエリは、モーツァルトの家に忍び込んでは楽譜を盗み見たり、愛妻を辱めようとするなど、行動がどんどんエスカレート。ハッキリいってストーカー状態。
女の子の家に忍び込んで下着を盗む行為と、本質的には何ら変わらない。そう!言ってしまえば『アマデウス』は、哀しき中年ストーカー男の悲劇なんである。
そんなド変態ストーカーのサリエリを、陰険な役をやらせたら右に出る者がいないF・マーリー・エイブラハムが怪演。これでもかという粘着系芝居で、見事アカデミー賞を獲得。
対するモーツァルト役のトム・ハルスは、ひたすら下品かつ無教養、女好きなお気楽男を熱演。公開当時、奇抜すぎる人物造型に一部音楽関係者からクレームがついたらしいが、それも納得のトンデモキャラだ。
一人の凡才を通して天才を探る、というアイディアは面白い。クセのあるキャラクターを一貫して描き続けてきたミロシュ・フォアマンの得意分野ともいえるだろう。だが、正直いって音楽ストーカーの悲哀劇という図式だけでは、観客を引き込むだけのパンチ力に欠ける。
同じミロシュ・フォアマン監督の『カッコーの巣の上で』(1975年)は、ユーモアとペーソスに満ちたドラマ展開に衝撃的なラストが用意されていた。
だが『アマデウス』は、モーツァルトが35歳にして夭逝するという周知の事実にむかって、粛々とドラマが展開するのみ。我々はただ希代の天才児が精神的に衰弱していく様を、見守るだけでしかないのだ。
- 原題/Amadeus
- 製作年/1984年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/160分
- 監督/ミロシュ・フォアマン
- 脚本/ピーター・シェーファー
- 製作/ソウル・ゼインツ、マイケル・ハウスマン、バーティル・オールソン
- 撮影/ミロスラフ・オンドリツェク
- 音楽/ネヴィル・マリナー
- 美術/カレル・サーニー
- 編集/ネーナ・デーンヴィック
- F・マーリー・エイブラハム
- トム・ハルス
- エリザベス・ベリッジ
- サイモン・カラウ
- ロイ・ドトリス
- クリスティン・エバソール
- ジェフリー・ジョーンズ
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