『ジュラシック・パーク』(1993年)で驚異的な興業成績をおさめ、同年『シンドラーのリスト』で念願のアカデミー監督賞・作品賞を受賞。こんな快挙を成し遂げられるのは世界でただ一人、スティーヴン・スピルバーグだけではないか。
稀代のヒットメーカーとして次々とエンターテイメント作品を世に送り続け、その一方で映画史上に残る文芸作品を発表してオスカーを獲得してしまうのである。金も名誉も手にいれて、まさにキング・オブ・フィルムメーカーはウハウハ状態である。
『シンドラーのリスト』は、スピルバーグがユダヤ人である自分自身に向き合った作品だ。いわば、彼の身体に流れる「血」がつくらせた映画なのである。
『カラーパープル』や『太陽の帝国』など、賞狙いの映画をつくってきたスピルバーグの苦労が報われた形になったが、僕にはいささか不満がある。
この作品の最大の弱点は、映画としてのタッチがはっきりしていない点にある。ハリウッド屈指のテクニシャンであるスピルバーグが、自らのテクニックを封印し、ドキュメンタリータッチで全編を描こうとした熱意は分かる。
だが、スピルバーグがあまりにも映画的なテクニックを知り過ぎた監督であるだけに、ところどころにドキュメンタリーに徹し切れないシーンが見え隠れする。
たとえば、シンドラーが秘書を雇うために何人かの女性を面接する場面。女好きのシンドラーは美人の前ではニコニコしているが、ブスの前ではムスッとしているというコミカルなシーン。
カットごとにシンドラーのポジションを変えてリズミカルに描く手法は、たしかに映画的に上手い。だがそれゆえに、一貫したシリアスなタッチが崩壊してしまっている。
『シンドラーのリスト』では、テクニシャンであるスピルバーグと、ドキュメンタリータッチのスピルバーグが同居しているのだ。
全編モノクロ作品ながら、赤いコートの少女には一部パートカラー適用しているのも、あざとさを感じてしまう。『インディ・ジョーンズ』シリーズで感じる、あざとさは次元が違う。僕にはパートカラーにする必然性が感じられない。
スピルバーグ自身は、「 僕があのシーンでパートカラーを使用した理由は、あの悲劇は実際におきたということを視覚的に伝えたかったからだ」と語っているが、僕には意味不明だ。 黒澤明の『天国と地獄』におけるパートカラーには必然性があったが、これにはない。
我が敬愛するスピルバーグの次なる飛翔のために必要なステップが『シンドラーのリスト』だったことは分かる。だが’70年代をピークに、’80年代、’90年代とその神通力を序々に失ってきた彼が、21世紀もキングでいられるのか。
『激突!』の時のような、シャープで洗練されたタッチをもう一度観たいと思っているのは僕だけではあるまい。
- 原題/Schindler’s List
- 製作年/1993年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/195分
- 監督/スティーヴン・スピルバーグ
- 製作/スティーヴン・スピルバーグ、ジェラルド・R・モーレン、ブランコ・ラスティグ
- 製作総指揮/キャスリーン・ケネディ
- 原作/トーマス・ケネアリー
- 脚本/スティーヴン・ザイリアン
- 撮影/ヤヌス・カミンスキー
- 美術/アラン・スタルスキ
- 衣装/アンナ・B・シェパード
- 編集/マイケル・カーン
- リアム・ニーソン
- ベン・キングズレー
- レイフ・ファインズ
- キャロライン・グッドール
- エンベス・デイヴィッツ
- マルゴーシュ・ガベル
- シュムリク・レヴィ
- アンジェイ・セベリン
- フリードリッヒ・フォン・サン
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