「『チェンジリング』クリント・イーストウッド映画における、糾弾される国家権力」という考察記事をCINEMOREに寄稿しました。
クリント・イーストウッド映画における警察機構は、しばしば個人の自由と尊厳を著しく傷つける存在として登場する。理由はとっても簡単で、彼が生粋のリバタリアンだからだ。
リバタリアンとは何ぞや。辞書には「自由至上主義者。完全自由主義者」とある。要は、国はできるだけお節介をしない「小さな政府」でいてくれ!公助ではなく自助でやらせてくれ!ということ。イーストウッドはハリウッドには珍しい共和党支持者として知られているが、右とか左とかいうよりも、ただ徹底的に個人主義者なだけなのだ。
ぜひご一読ください!
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