『チェンジリング』の考察/解説レビューをCINEMOREに寄稿しました

『チェンジリング』クリント・イーストウッド映画における、糾弾される国家権力」という考察/解説レビューをCINEMOREに寄稿しました。

クリント・イーストウッド映画における警察機構は、しばしば個人の自由と尊厳を著しく傷つける存在として登場する。理由はとっても簡単で、彼が生粋のリバタリアンだからだ。

リバタリアンとは何ぞや。辞書には「自由至上主義者。完全自由主義者」とある。要は、国はできるだけお節介をしない「小さな政府」でいてくれ!公助ではなく自助でやらせてくれ!ということ。イーストウッドはハリウッドには珍しい共和党支持者として知られているが、右とか左とかいうよりも、ただ徹底的に個人主義者なだけなのだ。彼のインタビューを抜粋してみよう。

「たしかに、昔から共和党支持者だ。50年代、最初に選挙に行ったときは、アイゼンハワーに入れた。でも、私は党派は大嫌いだ。選挙で民主党に入れたこともある。財政や経済に関しては、わたしは保守派かもしれない。国が経済に介入することは賛成できない。(中略)だが、その一方で、個人の自由の保護にはとてもこだわりをもっている」
(『王になろうとした男 | ジョン ヒューストン』 宮本高晴訳 清流出版 より抜粋)

必要最低限の治安維持活動を否定している訳ではないけれども、リバタリアンは国家権力が個人の生活に介入することを嫌う。警察が悪者的ポジションなのは、至極当然のことなのだ。

ぜひご一読ください!

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