「ある事件を契機にして、自分自身を見つめ直す機会を得る」なんていうイニシエーションの物語は、ジェームズ・スチュワートの『素晴らしき哉、人生』を例に挙げるまでもなく、世の中にゴマンとある。
えてしてこのテの作品には、僕の大嫌いな“ヒューマニズム”が画面いっぱいに塗りたくられており、辟易とさせられることしばしばであった。
この『ゲーム』も明らかに自分探しの物語なのだが、メガホンをとった人物が、『エイリアン4』の撮影中に本物の虫を顔に這わせようとしてシガニー・ウィーバーを激昂させた、なんていうゴキゲンなエピソードを持つデヴィッド・フィンチャーだからして、居心地の悪いヒューマン描写は皆無。
「何を撮るか」ではなく「どう撮るか」というPV出身監督らしい方法論で、普遍的なテーマを解体・構築していく。
冒頭、古ぼけたセピア色の映像に物悲しいピアノの旋律が鳴り響く、マイケル・ダグラスの少年時代の8mmフィルムがいい。現在の自分と、48歳の時に謎の自殺を遂げた父親の記憶との交錯。意外にも、今作における「自分探し」的モチーフはこれぐらい。
物語中、マイケル・ダグラスはふりかかる災難の対処に精一杯で、親父のことなんて思いだすヒマはほとんどナシ。物語のベクトルは“イニシエーションもの”に向かうことはなく、サスペンスドラマとしてほぼ一直線に進行していくのだ。
この作品に対するレビューをWEBで検索してみると、「デヴィッド・フィンチャーは離陸は上手だが着陸が下手」などネガティブな意見をいくつか散見したのだが、確かにとってつけたかのようなハッピー・エンドは、あまりにも安易と言われて仕方ないところだろう。
しかし、バッド・エンドであること甚だしい前作『セブン』(1995年)を踏まえた上でこのようなラストを用意したというのは、常に「観客の予想をひっくり返したい」というデヴィッド・フィンチャーらしい幕引きだったのではないか。
セックス願望むき出しのイメージしかないマイケル・ダグラスが、妙にカタブツのエグゼクティブを演じているのは冗談としか思えないが、それもデヴィッド・フィンチャー特有のブラック・ジョークと受け止めよう。
語り口からテーマが全く浮上してこないという致命的な欠陥を持ったこの作品を、僕は密かに偏愛する。
- 原題/The Game
- 製作年/1997年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/128分
- 監督/デヴィッド・フィンチャー
- 脚本/ジョン・ブランケート、マイケル・フェリス
- 製作/スティーヴ・ゴリン、シーアン・チャフィン
- 製作総指揮/ジョナサン・モストウ
- 撮影/ハリス・サヴィテス
- 音楽/ハワード・ショア
- 美術/ジェフリー・ビークロフト
- 編集/ジム・ヘイグッド
- マイケル・ダグラス
- ショーン・ペン
- デボラ・カーラ・アンガー
- ジェームズ・レブホーン
- ピーター・ドーナット
- キャロル・ベイカー
- アンナ・カテリナ
- アーミン・ミューラー・スタール
- チャールズ・マーティネット
- スコット・ハンター・マクガイア
- フロランティーヌ・モカヌ
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