サスペンス映画という形式を借りたイニシエーションの物語
【思いっきりネタをばらしているので、未見の方はご注意ください。】
本作のプロデューサーとしてクレジットされているのは、シドニー・ポラック、スティーヴン・ソダーバーグ、アンソニー・ミンゲラ。アメリカ映画界のフィクサーともいうべきビッグ・ネームばかり。
シドニー・ポラックにいたっては、法律事務所所長マーティ役で渋い演技までご披露している。『ボーン・アイデンティティー』シリーズの脚本家として知られるトニー・ギルロイの処女作『フィクサー』(2007年)(2007年)は、強力なバックアップ体制が敷かれているのだ。
記憶を失った男ジェイソン・ボーンを巡る3つのフィルムが、過去と対面することで自分自身を取り戻していく自己再生のドラマと規定するなら、『フィクサー』はニューヨーク最大の法律事務所で働く“モミ消し屋”の男が、巨大農薬会社による薬害をめぐる裁判を契機に、過去と訣別して己自身を再獲得していくプロセスをなぞった作品と言える。
そう、これはサスペンス映画という形式を借りたイニシエーションの物語なのだ。
その通過儀礼は、丘の上に佇む三頭のサラブレッドに表象される。その神懸かり的に美しい光景に、思わず車を停めてみとれるジョージ・クルーニー。しかし問題は、このシーンを観客が通過儀礼としてきちんと受け止めることができるかどうか、
すなわち、この光景が「息子が夢中になって読んでいた絵本の挿絵にそっくり!」と思わせられるかどうかにある。絵本の挿絵を一瞬でもインサートすれば演出としては分かりやすいが、トニー・ギルロイは己の演出技量を信じ、あえてそのような明白な方法は採らなかった。
しかしこれが初監督作品となる彼にとって、これはリスキーな選択だったように思う。キーであるはずの絵本の挿絵は、観客の脳内に強制刷り込みさせるほど、映像的に印象づけられていない。
従って、サラブレッドに見とれるジョージ・クルーニーの姿を観て、我々観客が「コレってナニ?」となってしまうと、映画的高揚感が全く味わえずに終幕を迎えてしまう危険性があるのだ。
言ってしまえば『フィクサー』は、ラスト5分のカタルシスを発動させるがために、長い前奏があるような構成の作品。前フリが効いていないと、お話がさっぱり分からなくなってしまう。
強力なバックアップ体制により完成した『フィクサー』は、新人監督とは思えないほどに水準の高い作品である。だがその前提は、観客が高いリテラシーを有していることが条件になっているのだが。
《追悼》
2008年3月18日、アンソニー・ミンゲラは54歳の若さにしてこの世を去った。製作者として携わった最後の映画作品が、『フィクサー』である。R.I.P。
- 原題/Michael Clayton
- 製作年/2007年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/120分
- 監督/トニー・ギルロイ
- 脚本/トニー・ギルロイ
- 製作/シドニー・ポラック、ジェニファー・フォックス、ケリー・オレント、スティーヴン・サミュエルズ
- 製作総指揮/スティーヴン・ソダーバーグ、ジョージ・クルーニー、ジェームズ・ホルト、アンソニー・ミンゲラ
- 撮影/ロバート・エルスウィット
- 美術/ケヴィン・トンプソン
- 音楽/ジェイムス・ニュートン・ハワード
- 衣装/サラ・エドワーズ
- ジョージ・クルーニー
- トム・ウィルキンソン
- ティルダ・スウィントン
- シドニー・ポラック
- マイケル・オキーフ
- ケン・ハワード
- デニス・オヘア
- ロバート・プレスコット
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