90年代的サブカルチャーを体現する“負の祝祭”
『行け!稲中卓球部』は、1990年代前半の文化状況を象徴する作品といっていい。
舞台は中学校卓球部だが、そこに描かれるのはスポーツ的達成でも青春的成長でもなく、むしろ「イケていない男子中学生」が無為な日常を送り、性欲や暴力性を過剰に反復する光景である。この無内容さをあえて全面化することにより、結果として「性春」という負のエネルギーが笑いに転化される。
この感じ、個人的には身体感覚としてよく分かる。僕自身も中学時代はイケてない卓球部員で、卓球よりもホモソーシャル的なワチャワチャのなかで「性春」を過ごしていたからだ。
この漫画が特徴的なのは、過剰なまでの欲望の言語化。登場人物たちは常に「おっぱい」や「女」といったワードを呪文のように唱え、思春期の妄想が低俗かつ祝祭的に描かれている。
同時に、本作は強烈なミソジニーを伴う。女性は「美人/ブス」の二分法で処理され、美人は性的消費の対象、ブスは嘲笑の対象に還元される。もちろん男子校文化の極端なパロディ表現なのだろうが、今日的なジェンダー批判の観点からすれば看過できない構造だ。それは同時に「女子不在の男子共同体」における欲望のエコーチェンバーを戯画化したものともいえる。
ここで重要なのは、古谷実の漫画的表現技法だ。彼の描線は粗雑でありながら、人物の歪んだ顔貌や誇張されたジェスチャーは、キャラクターの欲望や卑小さをグロテスクに可視化する。
また、コマ割りにおける「間」の操作、すなわちキャラクターが突拍子もない発言をした直後に一コマ空白を置くといった手法によって、沈黙や白けを笑いのリズムへと転換する。これは漫才や新喜劇的な「間」の笑いを漫画表現に移植したものだ。
さらに、冗長な繰り返しを数ページにわたって描き続けた後、突如として暴力や下ネタを差し込む「冗長→唐突」のリズムは、読者に思考停止的な笑いを強制する独特の構造を形成している。
おそらくこの作品は、掲載誌「週刊ヤングマガジン」の文脈を抜きに語ることはできない。90年代前半のヤンマガは、エロ、暴力、不良文化を雑多に混在させる誌面構成を特徴としており、山本直樹、木多康昭らによる猥雑かつ挑発的な作品群とともに、『稲中』は「反規範的笑い」の中核を担った。
つまり本作は、単に一作のギャグ漫画としてではなく、ヤンマガというメディア環境が生み出した「反教育的笑い」の極致として理解されるべきである。
さらに、『稲中』は同時代のテレビ・バラエティ文化との強い共振を示している。90年代のテレビでは『ダウンタウンのごっつええ感じ』や『ボキャブラ天国』といった番組が人気を博し、猥雑な言語遊戯や不条理ギャグが社会的流行となっていた。
『稲中』のリズム感、過剰な身体ギャグ、そして「下品さを笑いに転化する」構造は、まさにこの時代のテレビ的笑いと呼応している。すなわち本作は、漫画的表現における「バラエティ的笑い」の受容と再編を体現しているのである。
『行け!稲中卓球部』は、ダメ人間の成長や更生を一切拒否し、「男子中学生の欲望と無能さ」を全力で戯画化することにより、90年代前半の文化的虚無と欲望の過剰を同時に表現した。
古谷実はその後、『ヒミズ』や『シガテラ』で内省的かつ陰鬱な心理劇に舵を切るが、その出発点としての『稲中』は、漫画史的にも文化史的にも、90年代的サブカルチャーを体現する“負の祝祭”として位置づけられるべきであろう。
- 著者/古谷実
- 発表年/1993年〜1996年
- 掲載誌/週刊ヤングマガジン
- 出版社/講談社
- 巻数/全13巻
![行け!稲中卓球部/古谷実[本]](https://popmaster.jp/wp-content/uploads/71cIcqrqboL._SL1024_-e1761565748144.jpg)
