全ての文科系少年・少女に捧げられた、奇跡のように美しいラブストーリー
青春時代の甘酸っぱい切なさは、そのその一瞬一瞬がかけがえのないキラメキに満ちている。岩井俊二は、その刹那を見のがさない。それは脚本や演出といった範疇ではなく、アーティストとしての嗅覚の問題だ。
僕らが十代だった頃にしか感じ得ない空気。文科系青春を鋭利なナイフで切り取る、岩井俊二の静謐な筆致。モダンな小樽の町並みが、その感覚を増幅させる。
例えば、「少女時代の藤井樹が、父親の葬式の帰り道に雪で凍ったトンボを見つける」というシーン。この場面は、ドラマの流れでは何の意味も付与しないまま、唐突にそこに現出する。
しかし、これこそが岩井俊二という映像作家によるポエティックな表現形式なのだ。十代という多感な少年少女たちの内面を描くために、必要な手続きなのだ。
『Love Letter』(1995年)は、渡辺博子と二人の藤井樹が織り成すトライアングルが、時間と空間のずれを内包して成立している作品である。「生」と「死」が穏やかに隣接したラブストーリー。この世にはもういない人へ送られたはずのラブレターは、実体を伴って返函される。
この瞬間に「生」と「死」は対極の存在ではなく、不思議なバランスの上で同居するファクターとなる。風邪をこじらせて「死」への入り口にたった渡辺博子は、「生」への帰還を果たして、藤井樹の時間を超えた思いを受け止める。
また、そのトライアングルは、それぞれが双子のような同似性を保持している。双子のような風貌を持った渡辺博子と藤井樹、そして全くの同姓同名である二人の藤井樹。時間と空間のずれは、この不思議な同似性によって結び付けられる。
ラブストーリーには、ほんの少しの奇跡が隠し味として必要なものだ。『Love Letter』は甘美な奇跡が螺旋のように広がり、物語に波紋を浮かべていく作品である。その奇跡は、「名前」という同似性によってもたらされるのだ。
できることなら、この映画は他の誰にも知られない、自分だけの宝物にしておきたい。コアなファンからはすでに熱狂的な支持を受けていたものの、当時決してメジャー作家ではなかった岩井俊二は、この作品で一気にブレイク。
そればかりか、韓国では1999年に映画が公開されるやいなや、140万人の観客を動員する興行を記録し、“日本を代表するフィルムメーカー”としてワールドワイドに認知されることになる。
恥ずかしながら小生もかつて図書委員で、本の虫だった。ジュール・ヴェルヌやミヒャエル・エンデといった作家が紡ぐ物語に胸をときめかせた僕にとって、「図書館」は青春の舞台だった。『Love Letter』は全ての文科系少年・少女に捧げられた、奇跡のように美しいラブストーリーである。
- 製作年/1995年
- 製作国/日本
- 上映時間/117分
- 監督/岩井俊二
- 脚本/岩井俊二
- 製作/村上光一
- 製作総指揮/松下千秋、阿部秀司
- プロデューサー/小牧次郎、池田知樹、長澤雅彦
- 企画/重村一、堀口壽一
- 撮影/篠田昇
- 美術/細石照美
- 編集/岩井俊二
- 音楽/REMEDIOUS
- 中山美穂
- 豊川悦司
- 酒井美紀
- 柏原崇
- 范文雀
- 篠原勝之
- 加賀まりこ
- 鈴木蘭々
- 中村久美
- 塩見三省
- 鈴木慶一
- 田口トモロヲ
- 光石研
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