『モーターサイクル・ダイアリーズ』(2004年/ウォルター・サレス)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
『モーターサイクル・ダイアリーズ』(原題:Diarios de motocicleta/2004年)は、後に革命家となるエルネスト・“チェ”・ゲバラが、友人アルベルト・グラナードと共に南米大陸を縦断した12,000キロの旅をたどるロードムービー。医学を学ぶアルゼンチンの青年だった彼が、バイクで転び、雄大な自然に圧倒され、各地で出会う労働者やハンセン病患者の現実を知ることで、のちの思想へつながる“種”を宿していく過程を丁寧に描く。コミカルな前半から内省的な後半へとトーンが転じ、ひとりの若者が世界を知っていく瞬間の躍動が記録されている。
- 第57回カンヌ国際映画祭:エキュメニカル審査員賞、フランソワ・シャレ賞、高等技術委員会賞受賞
- 第78回キネマ旬報(外国映画):第5位
- 2004年度映画秘宝:第10位
風景に浸食される価値観の輪郭
常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことである
これは、かのアルバート・アインシュタインが残した有名なお言葉。さすが天才物理学者、いいことを言う。
そして、自分の中に無意識に巣食っている常識という名の偏見を壊し、凝り固まった価値観に鮮烈な刺激を与えるのに、旅ほど有効な手段は他にない。
ウォルター・サレス監督による『モーターサイクル・ダイアリーズ』(2004年)は、後に革命家として世界にその名を知られるチェ・ゲバラが、まだゲバラになる前の医学生エルネストとして、親友のアルベルト・グラナードと共に南米大陸をバイクで横断する姿を追った作品だ。
ここで描かれるのは、教科書的な英雄の誕生秘話ではない。一人の多感な青年の価値観が、未知の風景と衝突し、少しずつ変質していくそのプロセスそのものだ。
青年エルネストは、ブエノスアイレス大学で医学を学ぶエリートだった。重度の喘息というハンデを抱えながら、ボロのバイク「ラ・ポデローサ(力強い号)」に跨り、12000キロに及ぶ南米横断を決行する。この無鉄砲な計画こそが、彼の内なる世界を外へと開くための裂け目となる。
映画の序盤、二人の旅はどこかコミカルで、若さゆえの万能感に満ちている。ところが、彼らは転び、転び、何度も泥にまみれる。バイクはもはや移動手段というより、彼らを現実に叩きつけるための災厄の装置だ。
だが、この傷つきながら進むという泥臭い身体の移動こそが、彼らの精神の構造を静かに侵食し始める。アンデスの険しい雪山、霧に包まれたマチュピチュの巨大な石組み、そしてアマゾン川の雄大な流れ。風景は単なる観光的な背景ではなく、彼らを包囲し、飲み込んでいく圧倒的な地層として機能している。
僕はこの映画を観るたび、画面に刻まれるランドスケープと、そこにポツンと佇む人物たちの圧倒的なスケール差に目を奪われる。大自然を前にした人間がいかに小さく、無力であるか。
その視覚的なコントラストが、エルネストの中にあった「自分は何でも知っている」という傲慢な常識を、ゆっくりと解体していくように見える。
内なる偏見が雄大な風景に吸い込まれ、青年の輪郭が溶け出していく。この旅は外界の移動である以上に、彼の内面で起きている地殻変動そのものなのだ。
南米の現実が開く裂け目
物語が中盤を過ぎると、陽気なロードムービーの空気は次第に影を潜め、エルネストのモノローグに深い内省の色が混じり始める。そこには、南米大陸に厳然として横たわる剥き出しの現実が、彼の澄んだ瞳にじわじわと、かつ容赦なく侵入してくるプロセスが克明に描かれている。
土地を奪われ、劣悪な労働環境に喘ぐ先住民の夫婦。巨大な銅山の底で、使い捨ての駒のように酷使される移民労働者たち。それらは声高な政治的メッセージとしてではなく、風景のなかに初めから存在していた現実の粒子として、静かに提示される。
カメラは彼らの過酷な身体状況を淡々と捉え、ドラマチックな感傷をあえて排除する。だが、その演出の語らなさこそが、かえってエルネストの胸を鋭く刺す。将来有望な医師である彼は、目の前の痛ましい身体を前にして、自分がいかに無力であるかという残酷な事実を突きつけられるのだ。
特筆すべきは、旅の終着点に近いペルーのサン・パブロ・ハンセン病療養所での体験だろう。川を一本挟んで、隔離された患者たちの居住区と、白衣を纏った医療従事者たちの居住区が、冷然と分断されている。エルネストはこの目に見える境界線を、単なる衛生管理の問題ではなく、人間としての尊厳の欠落として捉える。
そして彼は、自分の誕生日の夜、周囲の制止を振り切って、闇に包まれたアマゾン川を独り泳ぎ渡る。それは、他者との間に引かれた不条理な線を消し去りたいという、極めて身体的な切望であり、自らの視線の倫理を再構築しようとする切実な祈りのような瞬間だ。
激しい濁流、向こう岸で振られる無数の手。このシークエンスにおける身体の躍動は、後年の彼の思想を根底から突き動かすことになる“原初の揺らぎ”として、スクリーンに強烈に焼き付けられている。
記憶と身体が接続されるラストショット
旅の後半、物語の速度は次第に落ち、呼吸が深くなっていく。
世界を高速で通過する爽快感は消え、自分たちの足で、地面の負担を直接肌に感じながら一歩一歩進むようになる。バイクを失い、歩くことでしか得られない世界の重みが、エルネストの中で少しずつ「倫理の重み」へと変換されていくのだ。
この映画のラストにおいて、老いたアルベルト・グラナード本人が画面に登場する瞬間の、あの言葉にならない重力は計り知れない。フィクションの物語が、突然にして実在の歴史と接続される。
さらに、アルベルトを演じたロドリゴ・デ・ラ・セルナが、実はエルネスト・ゲバラの母親(セリア・デ・ラ・セルナ)の親戚にあたるという奇妙な縁も、映画全体に独特の血の通った震えを与えている。
エルネストを演じたガエル・ガルシア・ベルナルの眼差しも素晴らしい。旅を始めた頃の好奇心に満ちた少年の目は、旅の終わりには、世界の不条理をじっと見据える深く静かな大人の目へと変わっている。
ロードムービーとは、本来ならば出発点へと帰る帰還の物語だ。しかし本作において、本当の意味での帰還は起こらない。あるのは、旅を通して自分を構成していた価値観の地層が剥がれ落ち、全く別の人間へと作り替えられてしまった変質の記録だけだ。
青年は革命家として故郷へ帰るのではない。ただ、旅の中で出会った風景、触れた他者の体温、そして耳にした世界の沈黙によって、自分自身を掘り崩され、新しい思想の根源を静かに生成してしまったのだ。
ウォルター・サレスは、最後までこの青年を英雄ゲバラとして過剰に持ち上げることをしない。むしろ、革命という巨大な叙事詩が始まる前の、名もなき一個人の繊細な胎動を描くことで、英雄像の裏側にあった血の通った人間性を浮かび上がらせる。
風景に圧倒され、他者の苦境に触れ、言葉にならない沈黙のなかで何かが芽生える。ゲバラという巨人が歩み始める一歩手前で、確かにそこにあった一人の青年の、あまりにも美しい戸惑い。
そのすべては、一台のポンコツ・バイクから始まった、ただの「旅」がもたらした奇跡的な地殻変動だったのである。
参考文献・出典
- 監督/ウォルター・サレス
- 脚本/ホセ・リヴェーラ
- 製作総指揮/ロバート・レッドフォード、ポール・ウェブスター、レベッカ・イェルダム
- 撮影/エリック・ゴーティエ
- 音楽/グスターヴォ・サンタオラヤ
- 編集/ダニエル・レゼンデ
- 美術/カルロス・コンティ
- 衣装/マリサ・ウルティ
- モーターサイクル・ダイアリーズ(2004年/イギリス、アメリカ、ドイツ、アルゼンチン、ペルー)
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