出口の見えないラビリンス。神にレイプされた無垢で汚れない少女たち
映画は、淡々と事実関係を伝える一枚の字幕から始まる。
On Saturday 14th February 1900 a party of schoolgirls from Appleyard College picknicked at Hanging Rock, near Mt. Macedon in the State of Victoria. During the afternoon several members of the party disappeared without a trace.
1900年2月14日土曜日、アップルヤード女学院の生徒達がヴィクトリア州マセドン山近くの岩山で、ピクニックをしていた。午後、数人が跡形もなく消えうせた。
実際に起きた実話を元に、ジョーン・リンゼイの同名小説を映像化したのが、この『ピクニック at ハンギング・ロック』(1975年)。しかし、映画はあくまで実話からのインスパイアであって、ノンフィクションではない。
小説の冒頭にもこんな記述がある。
『ピクニック at ハンギング・ロック』が事実かフィクションかは、私の読者が自分で決めなければならない。運命のピクニックが行われたのは1900年であり、この本に登場する人物は全員とっくに死んでいるので、ほとんど重要とは思えない。
オーストラリア出身の奇才ピーター・ウィアー監督が紡ぎあげたこの映画は、まさしく夢と現実の“あわい”のような、ストレンジなフォルムを露出している。
ミランダが冒頭で語りかけるセリフ、「What we see and what we seem are but a dream, a dream within a dream(私たちが見ているもの、見えているものは、夢の中の夢に過ぎない)」は、エドガー・アラン・ポーの詩を参照したものだが、この“夢の中の夢”という夢遊病的感覚こそが、映画のベーシックなトーンになっているのだ。
そして、物語はなにひとつ明快な回答を提示しない。彼女たちがどこへ消えたのかという推論は一切提示せず、出口の見えないラビリンスのような、純然たる神秘を素描するのみ。
「テスト上映で鑑賞したアメリカの観客が激高した」とか、「配給会社の一人が怒りのあまりコーヒーカップをスクリーンに投げつけた」といった逸話も漏れ伝わっているが、それでもピーター・ウィアーは謎を謎のまま描くことにこだわった。
- 女性教師のミス・マクロウが「岩山は100万年前の噴火で出来たもの」と説明すると、生徒のアーマが「100万年も待ってたのね、私達が来るのを」と熱に浮かされるように語る。
- 時計が12時を指してまま止まってしまう。
- もう一人の女性教師のポワチエは、ミランダはボッティチェリの天使であるとつぶやく。
- 女生徒のイーディスが絶叫しながら岩山から駆け下りていったとき、ミス・マクロウ女史が下着だけの姿で丘を登っていくのを目撃した。
- 集団失踪から一人生還したアーマは、特に目立った外傷はなかったものの、コルセットがなくなっていた。
映画を観終わって、脳裏に焼き付くイメージ、それはそそり立つような荒々しい“岩山”である。あらゆるものを覆い尽くすような、巨大で荘厳なイメージ。それはまるで、天までそそりたつ男根のごとく。
無垢で汚れない少女たちは、導かれるように岩山を登り、コルセットを外し、己の身を捧げた。超自然的な“何者か”に選ばれてしまった少女たちは、単に神隠しにあったのではなく、神にレイプされてしまったのだ。
ちなみにハンギングロック自然保護官の弁によれば、ほぼ全ての出演者が撮影の後にこの岩山を訪れたという。フィクションとノンフィクションの境界線を越えて、ハンギングロックは魅了された人々を呼び寄せ続けている。
- 原題/Picnic At Hanging Rock
- 製作年/1975年
- 製作国/オーストラリア
- 上映時間/116分
- 監督/ピーター・ウェアー
- 製作/ハル・マッケルロイ、ジム・マッケルロイ、A・ジョン・グレイヴス
- 製作総指揮/パトリシア・ロヴェル
- 原作/ジョーン・リンジー
- 脚本/クリフ・グリーン
- 撮影/ラッセル・ボイド
- 衣装/ジュディ・ドースマン
- 音楽/ブルース・スミートン
- レイチェル・ロバーツ
- ドミニク・ガード
- ヘレン・モース
- ヴィヴィアン・グレイ
- アン・ランバート
- カレン・ロブソン
- ジェーン・ヴァリス
- クリスティーン・シュラー
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