閉鎖的空間の陰惨エピソードが鬱積した、“性春”物語
渋谷生まれの渋谷育ち、根っからのシティ・ボーイの僕としては、「田舎から東京に出て来る」ことが、いかに大変なことかは知る由もない。
なので昔から「上京モノ」には関心があって、そのテの映画はちょこちょことチェックしていた。『津軽じょんがら節』(1973年)や、『あ、春』(1998年)、『壬生義士』(2003年)などで知られる脚本家・中島丈博の半自伝的作品『祭りの準備』も、その系譜に連なるだろう。
昭和30年代初めの高知県中村市を舞台に、信用金庫の外勤係で働きながら、シナリオライターを夢見る青年・沖楯男が、志を抱いて東京に出発するまでを描いた、青春グラフィティーである。
しかし『祭りの準備』には、美しい詩情性や叙情性は皆無。“生温い汗の匂い”がスクリーンを覆い尽くすかのような強烈な土着性、性欲のみに突き動かされる乾いたエロティシズム、閉鎖的空間ゆえに巻き起こる陰惨エピソードが鬱積した、“性春”物語なのである。
そもそも設定からしてスゴい。主人公の沖楯男(これが映画初出演の江藤潤が、朴訥な味を出している)は母と祖父との三人暮らしなのだが、ドイツもコイツも異常な人間ばかり。
父親は、生来の女好きで別宅に愛人を囲っている。祖父は、クスリ漬けで気がおかしくなった隣家の娘タマミを妊娠させ、彼女が正気を取り戻して自分を拒絶すると、ショックのあまり首を吊って自殺。周りの友人はヤクザ者だらけで、特に悪友のトシちゃん(原田芳雄)は、強盗殺人で指名手配を受けて姿をくらましてしまう始末。
狂った世界のなかで唯一の救いだった心の恋人・涼子(竹下景子)も、左翼活動に熱中するあまりオルグの男と関係を持ち、彼に捨てられるや主人公をセックスに誘って肉欲にふける。全てに絶望した彼は、上京するという不退転の決意を固めるのだ。
母親に上京を再三再四訴えるも、息子を溺愛して手元から離したくない彼女は、コレを全く聞き入れず。この映画における“母”とは、子供が新世界へ飛び出す第一歩を後押しする存在ではなく、ネバネバと触手を伸ばして絡み付き、子供を閉鎖的コミュニティに閉じ込めんとする存在だ。
馬渕晴子演じるこの母親の描き方にこそ、『祭りの準備』という作品の特異な土着性が、端的に示されている。
誰一人別れを告げず、主人公は故郷を後にする。たまたま駅で出くわした原田芳雄が、主人公の乗った列車を「バンザーイ」と叫びながら追いかけるという、「巣立ちモノ」の定番シーンによって映画は終幕を迎える。
しかし、主人公を祝福するのが警察に追われているお尋ね者だけ、というのが一筋縄ではいかないトコロ。とにもかくにもスゴい話なのだが、どこまでがフィクションでどこまでがノンフィクションなのか、根っからのシティ・ボーイの僕としてはよく分かりません。
ちなみに中島丈博は、沖楯男の小学生時代を描いた小説『野蛮な詩』(2000年)、中学時代を描いた映画『郷愁』(1988年)も発表。『郷愁』では、脚本だけでなく製作と監督も担当しているそうな。もう、藤子不二雄Aの『まんが道』やん!
「誰でも一本は傑作を書ける。自分の周囲の世界を書くことだ」という、新藤兼人の言葉が『祭りの準備』で引用されているが、まさに中島丈博は「自分の周囲の世界」をライフワークとして描き続けたのだ。
- 製作年/1975年
- 製作国/日本
- 上映時間/117分
- 監督/黒木和雄
- 製作/大塚和、三浦波夫
- 企画/多賀祥介
- 原作/中島丈博
- 脚本/中島丈博
- 撮影/鈴木達夫
- 録音/久保田幸雄
- 照明/伴野切
- 美術/木村威夫、丸山裕司
- 音楽/松村禎三
- 編集/浅井弘
- 江藤潤
- 馬渕晴子
- ハナ肇
- 浜村純
- 竹下景子
- 原田芳雄
- 絵沢萠子
- 森本レオ
- 芹明香
- 犬塚弘
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