『エル・スール』(1983年/ビクトル・エリセ)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
『エル・スール』(原題:El Sur/1983年)は、スペインの巨匠ビクトル・エリセ監督が、10年の沈黙を破って完成させた至高のドラマ。内戦の傷跡が残るスペイン北部の村を舞台に、少女エストレリャが、父アグスティンの過去や、かつて愛した女優への断ち切れぬ想いを知っていく。
沈黙と光が織りなす極限の映像詩
映画監督ビクトル・エリセという男は、スクリーン越しに観客に向かって大仰な大演説をぶつことは絶対にないし、イデオロギーを声高に叫んだりすることも決してない。彼はただひたすらに、慎ましやかに物語をささやき続ける、映画史において最も稀有で孤高な映像作家の一人だ。
長編デビュー作『ミツバチのささやき』(1973年)で世界中のシネフィルの度肝を抜いたあと、彼はなんと10年間もの長きにわたって長編映画のメガホンをとることはなかった。
スペイン映画界の至宝でありながら、商業主義とは完全に無縁の沈黙期間。その途方もないプレッシャーの中で生み出された第二作『エル・スール』は、前作以上に研ぎ澄まされた光と影の魔術によって緻密に構成されている。
エリセはここでも、家族という極めてミニマムな共同体から離れることなく、スペイン北部の雪深く陰鬱な辺境の地にカメラをどっしりと据え、丁寧な手つきで物語を繊細に紡ぎ上げていく。
特筆すべきは、名撮影監督ホセ・ルイス・アルカイネとの協働によって生み出された、あのフェルメールやカラヴァッジョといったバロック絵画を強烈に彷彿とさせる圧倒的な明暗法だ。
窓から差し込む一筋の冷たい光、セピア色に沈む薄暗い室内、そして暗闇の中にふわりと浮かび上がる少女エストレリャの顔。絵画的なコンポジションを徹底的に計算し尽くした、その映像美。登場人物たちが抱える底知れぬ孤独や、決して口に出せない魂の震えを視覚的に完全に代弁している。
「ローカルな辺境のエリアにこそ、世界を貫く普遍の真理が宿る」と確信しているかのようなその確固たるフレーミングは、観る者の呼吸を忘れさせるほどの強度を持っている。
スペイン内戦の暗い影
同時代を描いたスペイン映画がそうであるように、この『エル・スール』の背景の奥底には、スペイン内戦(1936年〜1939年)という血生臭い傷跡が重く影を落としている。
1931年に左派が選挙で勝利して第二共和政が成立したかと思いきや、わずか数年後にはフランコ将軍率いる右派反乱軍が蜂起し、泥沼の凄惨な内戦へと突入。結果として右派が勝利し、スペインは長きにわたるファシズムの独裁政権下に置かれることになった。
劇中、娘エストレリャの乳母ミラグロスが語る「お父さんが正しかった時代」とは、すなわち左派(知識人や労働者)に支えられた自由主義が趨勢を支配していた共和国時代であり、一方で「大旦那様が正しかった時代」とは、フランコ将軍が軍事政権を樹立したファシズム時代を指しているのだろう。
主人公の父アグスティンは、かつて自由と理想を闘って敗れ去り、故郷である暖かな南(エル・スール)を追放され、冷たく閉ざされた北の辺境で生きることを余儀なくされた、国内亡命者なのだ。だけどエリセは、イデオロギッシュな描写を意識的に排除している。彼は決して主義主張へと安易に越境しない。
フランコ体制への恨みつらみを安いセリフで語らせるのではなく、父の背中に漂う喪失感や、振り子を使って水脈を探し当てるという神秘的で前近代的な行為のなかに、敗北者の悲哀を美しく凝縮させてみせるのだ。
未完がもたらした奇跡の余白
彼の関心は、あくまで家族のささやかな物語にあり、限定された空間のなかで、素朴で慎ましやかなコミュニケーションをデッサンするように素描していく。にも関わらず、『エル・スール』の画面からは、なぜか息を呑むほどのスペクタクル性とダイナミズムが強烈に感じられるのだ。
例えば、映画の冒頭。少女エストレリャが横たわるベッドを、窓から漏れる微かな光が仄かに照らし、遠くで犬の鳴き声や風のざわめきがかすかに聞こえてくるシーン。
絵としては全く動的なアクション要素がないにも関わらず、まるで同時期に公開されたアンドレイ・タルコフスキーの『ノスタルジア』(1983年)にも近接するような、圧倒的に神性に満ちた深淵な空気に包まれている。
あるいは、父親が振り子を片手に荒野で水脈を探し当てるシーン。かつて映画批評家・蓮實重彦は「ビクトル・エリセは西部劇にシンパシーがある人なのではないか」と喝破したが、荒涼とした大地と地平線のダイナミックな構図は、いかにもジョン・フォードの『駅馬車』(1939年)や『捜索者』(1956年)を彷彿とさせる、映画的な神話の匂いがプンプン漂っているではないか!
そしてこの作品は、映画史に残る「未完の傑作」でもある。実は当初、エリセが書いた脚本は約3時間に及ぶ壮大なものであり、後半では成長したエストレリャが実際に父の故郷であるアンダルシア地方へと旅立ち、異母姉妹と出会うという展開が用意されていた。
しかし、スペイン映画界のドンとも言える名物プロデューサー、エリアス・ケレヘタとの間で深刻な資金トラブルやスケジュールの対立が発生。なんとエストレリャが南へ旅立つ直前のシーンで強制的に撮影が打ち切られ、未完のまま公開を余儀なくされてしまったのである。
監督にとって自作を切り刻まれることは最大の悲劇だ。しかし、映画の神様はここでとんでもない奇跡を起こす。「南」が具体的な映像として最後まで一度もスクリーンに提示されなかったことによって、かえって観客の心の中に「決して辿り着くことのできない、永遠の幻の南」が圧倒的なリアリティをもって立ち上がってしまったのだ。
すべてを描き切らないことによる強烈な余白が、人間の根源的な郷愁を喚起する神話へと昇華させた。『エル・スール』は、映画というメディアが持つ原初的な映像の力と、アクシデントがもたらした完璧な欠落美に満ちた、紛れもない大傑作である。
- 監督/ビクトル・エリセ
- 脚本/ビクトル・エリセ
- 製作/エリアス・ケレヘタ
- 原作/アデライダ・ガルシア・モラレス
- 撮影/ホセ・ルイス・アルカイネ
- 編集/パブロ・G・デル・アモ
- 美術/アントニオ・ベリソン
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