砂の器/野村芳太郎

松本清張をして「原作を上回る出来」と激ホメさせた、ミステリー映画の金字塔

【思いっきりネタをばらしているので、未見の方はご注意ください。犯人もバラしてますので。】

『張込み』(1958年)、『ゼロの焦点』(1961年)、『影の車』(1970年)など、松本清張の代表作を総ざらいで映画化してきた野村芳太郎

特にこの『砂の器』は、松本清張をして「原作を上回る出来」と激ホメさせたという傑作。日本ミステリー映画史上にその名を刻む金字塔的作品、と言い切ってしまっても過言ではなし!

僕もこの映画は何度も見返しましたが、加藤嘉が「こんな人、知らね!」と絶叫する場面はいつ観ても胸に迫るものがあります(それにしても、放浪時の加藤嘉が36歳という設定は無理がありすぎやしないか)。

『砂の器』という作品の特殊性は犯人の動機にある。自分がハンセン氏病患者の子供である、という過去から逃れるための、哀しき殺人。

名前を変え、姿を変え、血の滲むような努力をした結果、人もうらやむような現在の地位を築くんであるが、その過去を封印するために、命の恩人でもある緒形拳を殺害せざるを得なくなるのだ(殺される方は悲惨極まりないが)。

ハンセン病への差別や偏見という社会的なテーマが、全編を覆い隠しているこの作品を映画化にあたって、脚色を担当した橋本忍山田洋次コンビは、真犯人である和賀英良(加藤剛)の心理により肉薄するため、ある戦略プランを策定した。

つまり原作ではわずか数行にすぎない親子の巡礼シーンを、およそ20分程度という尺をとってフラッシュバックさせながら、現在=過去を対比しようとする戦略である。

原作ではミュージック・コンクレート系の前衛作曲家だった和賀英良(加藤剛)を、純音楽作曲家に変更した意味はここにある。

菅野光亮によって作曲された叙情的なピアノ協奏曲『宿命』をバックに、日本全国を股にかけた四季折々の自然描写を織り込みつつ、ほぼサイレント映画として展開されるこの回想シーンは、まさに映画というフォーマットでしか表現できない純粋表現。おそらく松本清張センセイが感服されたのも、この回想部分だったんではないか。

丹波哲郎も加藤剛も緒形拳も役者陣は皆素晴らしいが、薄幸ぶりを遺憾なく発揮する島田陽子の美しさは特に際立っている。

今ではすっかりプッツン女優として定着してしまい、『花園の迷宮』(1988年)や『リング・リング・リング 涙のチャンピオンベルト』(1993年)など作品にも全く恵まれていないようだが、昔は可憐だったのだなあ。

DATA
  • 製作年/1974年
  • 製作国/日本
  • 上映時間/143分
STAFF
CAST