『砂の器』(1974)
映画考察・解説・レビュー
砂の器(1974年)は、松本清張の傑作ミステリーを野村芳太郎監督が映画化したミステリードラマ。橋本忍と山田洋次が手掛けた緻密な脚本により、単なる謎解きを超えた人間の「業」と「情」を描き切った、時代を超えて語り継がれるべき不朽の名作である。
【思いっきりネタをばらしているので、未見の方はご注意ください。犯人もバラしてますので。】
映画という凶器が、原作を完膚なきまでに叩き伏せた瞬間
松本清張。この“社会派推理小説の巨匠”という冠は、もはや説明不要の絶対領域だ。
その膨大な著作の中でも、とりわけ映画化が困難と言われた作品が『砂の器』(1974年)。野村芳太郎監督は、『張込み』(1958年)や『ゼロの焦点』(1961年)などで、清張ワールドのドロリとした人間の業を描き続けてきた男だが、本作において彼は、神がかり的な領域に足を踏み入れた。
何しろ、あの気難しい松本清張をして「原作を上回る出来」とまで言わしめたのだから。原作者が「自分の本より映画の方がいい」と白旗を上げるなんて、ミステリー映画史上あっただろうか?
本作の特異性は、犯人の動機が持つ、底知れぬ哀しみに集約される。和賀英良(加藤剛)という男が背負ったのは、ハンセン病という当時の過酷な差別と偏見に晒された宿命。
血を吐くような努力で過去を消し去り、今や新進気鋭の作曲家として華々しい地位を築いた彼にとって、過去の恩人である三木謙一(緒形拳)との再会は、祝福ではなく絶望の引き金でしかなかった。
せっかく手に入れた「砂の器」が崩れ去るのを恐れ、自分を、そして父を救ってくれた恩人を殺害する。この皮肉、この地獄!殺される方はたまったもんじゃないが、和賀という男の心理を掘り下げれば掘り下げるほど、観客は正義ではなく、業の深さに目眩を覚えるはず。
特筆すべきは、劇中で絶叫する加藤嘉の演技だ。「こんな人、知らね!」と息子を否定するあの場面、あれを観て泣かない人間がいるなら、そいつの血は冷え切っていると断言しよう。
驚くべきことに、あの放浪時代の加藤嘉は36歳という設定。いくら過酷な旅を続けていたとはいえ、あの枯れ果てた仙人のようなビジュアルで30代半ばというのは、特殊メイクの範疇を超えた超常現象だ。
しかし、そんな細かいツッコミすら、この映画の持つ圧倒的な熱量の前では霧散してしまうのだから、恐ろしい。
橋本・山田コンビが仕掛けた「20分間のサイレント」という魔法
なぜこの映画は、原作を超えたのか。その答えは、脚本を手掛けた橋本忍と山田洋次という黄金タッグが策定した、あまりにも大胆な戦略プランにある。
原作では和賀英良はミュージック・コンクレート(磁気テープに録音された音を加工する前衛音楽)の作曲家だった。しかし、映画化にあたって彼らは和賀を純音楽(クラシック)の作曲家に変更。これにより、クライマックスで演奏されるピアノ協奏曲「宿命」という、物語の感情をすべて吸い上げる巨大な装置が誕生した。
物語の終盤、和賀が自らの曲を指揮・演奏する現在のコンサートシーンと、かつて父と子が日本全国を放浪した過去の映像が、壮絶なクロス・カッティングによって重なり合う。原作ではわずか数行で片付けられていた親子巡礼のシーンが、菅野光亮による叙情的な旋律に乗せて、およそ20分もの尺で展開されるのだ。
四季折々の美しくも厳しい自然描写、泥にまみれ、雪に凍える父子の姿。台詞はほとんどない。ほぼサイレント映画の形式で進むこのシークエンスは、まさに、映画というフォーマットでしか到達できない純粋表現の極致である。
文字で説明される悲劇と、映像と音で叩きつけられる宿命。どちらが脳髄に深く刻まれるかは明白だ。橋本・山田コンビは、ミステリーという枠組みを借りて、人間の根源的な愛と、逃れられない血の繋がりを可視化することに成功した。
おそらく清張が感服したのも、この回想部分の圧倒的な説得力だったに違いない。現在と過去、成功と転落、音楽と絶叫。これらが濁流のように押し寄せてくる演出の前では、我々はただ立ち尽くし、涙を流すことしか許されないのである。
役者たちの狂気と、若き日の島田陽子が放つ儚き光
キャスティングもまた、この金字塔を支える強固な礎だ。和賀を追う刑事役の丹波哲郎が見せる、執念深くもどこか哀愁を漂わせる佇まいは流石の一言。和賀英良という美しき殺人者を演じた加藤剛の、あの冷徹さと脆さが同居した佇まいも素晴らしい。
だが、あえてここで強調したいのは、和賀の愛人を演じた島田陽子の圧倒的な美しさ。本作における彼女は、まさに幸の薄さを絵に描いたような可憐さで、画面に透明な彩りを添えている。
晩年の彼女はキャリアが迷走し(『花園の迷宮』(1988年)とか『リング・リング・リング 涙のチャンピオンベルト』(1993年)とか)、プッツン女優という不名誉なイメージに囚われてしまった。しかし少なくともこの映画では、彼女の美しさが、和賀の築き上げた偽りの世界の儚さをより一層際立たせている。
この映画は、ミステリーでありながら、究極の人間ドラマだ。事件の真相が判明し、犯人が特定されることの爽快感など、ここには微塵もない。あるのは、和賀が書き上げた「宿命」という曲が、皮肉にも彼自身を追い詰める証拠となってしまうという残酷な結末だけだ。
砂で作った器は、波が来れば一瞬で崩れ去る。だが、その崩れゆく瞬間の輝きをこれほどまでに美しく、激しく捉えた映画を、僕は他に知らない。
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