感想は、「なんてベタなんだろう」という一言に尽きる。
チンコだオナラだと小学生が喜びそうな下ネタが満載なのだから、ほとんどノリは「ドリフ」。しかしこの映画がどこか高尚的だと錯覚してしまうのは、その“ベタ”を不条理なシュールレアリズムでコーティングしたセンスにある。
前々から松本人志の笑いの神髄というものは、ワン・シチュエーションを不条理な設定で突き詰めてしまうセンスにあると思っていた。
例えば『ガキの使いやあらへんで!』の企画『浜田24時間耐久鬼ごっこ』では、体育館に押し込められた浜田・ココリコ・山崎邦正が理不尽にタイキックされたり、頭突きされたり、強制的に紙芝居を観させられたりする。そこには一切の合理性はなく、ナンセンスな不条理性が笑いを純化させていた。
「しんぼる」もまた、そのような方法論の延長線上にある作品だ。長方形の白い部屋に閉じ込められた男(松本人志)が、無数にあるチンコを押しまくって、部屋に仕掛けられたギミックを少しずつ解き明かしていく。
ヴィンチェンゾ・ナタリのサスペンス映画『CUBE』のお笑いフルスロットル版という趣きで、いかにも松本的なセンスに彩られている。
だがこの『しんぼる』が、『ごっつええ感じ』や『ガキの使いやあらへんで!』とは根本的に異なるのは、ずばりテンポ感にある。
松本はインタビューで「テレビの世界とはまた違ったステージで、肩が外れてもいいから、とにかく思い切り投げてみたい」と答えているが、おそらく彼の言わんとする「思い切り」とは、テレビ的な編集が施された高速テンポとは真逆の、独特の間合いを指しているんではないだろうか。
本来であればフリでしかないメキシコロケのシーンにえらく時間を割いていることはさておき、松本がマグロの寿司を全部平らげるのを尺をとってキッチリ描いていたり、グラサン・シスターが運転するクルマが画面奥から手前を横切るまでも全部見せていることにもそれは顕著。
冗長的ともいえるこの“間”こそが、映画というメディアにおける松本の必然的テンポなのだ。
短い時間に仕掛けを積み込む笑いが全盛の時代にあって「しんぼる」はアンチテーゼ的な役割を担う作品であるとも言える。だが僕がこの作品に対して不満なのは、結局閉じ込められた男が、修行、実践を経て未来の世界に降り立った“神”になるという、分かりやすいオチをつけてしまったこと。
“ベタ”を不条理でコーディングした映画の落としどころとしては、あまりにも理に落ちる落とし前だったんではないか?お笑い界のゴッドとして君臨する松本人志を表象するシーンとして必然だった、と言ってしまえばまあそれまでなんですが。
- 製作年/2009年
- 製作国/日本
- 上映時間/93分
- 監督/松本人志
- 企画/松本人志
- 脚本/松本人志、高須光聖
- プロデューサー/岡本昭彦
- 製作総指揮/白岩久弥
- 企画協力/高須光聖、長谷川朝二、倉本美津留
- アソシエイトプロデューサー/小西啓介、竹本夏絵
- ラインプロデューサー/代情明彦
- 撮影/遠山康之
- 照明/金子康博
- 美術/愛甲悦子、平井淳郎
- 編集/本田吉孝
- VFX/瀬下寛之
- 音楽/清水靖晃
- 松本人志
- デヴィッド・キンテーロ
- ルイス・アッチェネリ
- リリアン・タビア
- アドリアーナ・フリック
- カルロズ・トレーズ
- イヴァン・ウォン
- ミステルカカオ
- ディック・東郷
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