2026/4/29

『BIG FUN』(2009)徹底解説|究極にヘルシーなサウンド・コンシャス

『BIG FUN』(2009年/テイ・トウワ)
楽曲背景と意味を深掘り考察・批評・レビュー

10段階評価
8 GOOD
概要

『BIG FUN』(2009年)は、テイ・トウワ(TOWA TEI)が発表した5作目のアルバムであり、彼自身のプロデュースによって制作された。緻密にエディットされた電子音のレイヤーと、野宮真貴やハトリ・ミホら多彩なゲストによるボーカルが柔らかく溶け合い、高度なサンプリング技術とポップな親しみやすさが自然に共存する。「Mind Wall」「Taste of You」「Lyricist」などの楽曲が収録され、洗練されたアンサンブルの中に、都会的で知的なサウンドが響く。

目次

「角を丸くする」という贅沢

テイ・トウワという男が、かつてディー・ライトの一員としてニューヨークの摩天楼をダンスの渦に巻き込み、ソロ・デビュー作『Future Listening!』(1994年)で世界中にラウンジ・ミュージックの洗練を提示したとき、僕は彼を稀代の策士だと思ったものだ。

サンプリングのコラージュ感覚、広告代理店的な研ぎ澄まされた記号操作、そして都会的な小賢しさをあえて武器にするスマートさ。だが、通算6作目のアルバムとなる『BIG FUN』(2009年)を手にしたとき、そこに漂っていたのは、かつてのヒリつくようなエッジではなく、リスナーの鼓膜を優しく包み込むような、圧倒的にヘルシーで開放的な響きだった。

ナニがいいって、まずこの『BIG FUN』というストレートすぎるタイトルがいい。かつての彼なら、もっと重層的な意味を込めたスノッブな単語を選んでいたかもしれない。

しかし、ここでは「僕も楽しく作れたから、皆さんも定価3,300円ぶんたっぷり楽しんで」と言わんばかりの、軽やかなカジュアルさが全編を貫いている。

それを象徴するのが、サンフランシスコのストリートアートの巨匠、バリー・マッギーによるジャケット・アートワークだ。脱力感のあるシンプルなラインで描かれたキャラクターが、キャンバスの余白を贅沢に使いながら配置されている。このカジュアルさが、本作を紐解くための最大のカギだと思う。

前作『Flash』(2005年)あたりから、テイ・トウワの音作りは明らかにフェーズを変えた。デジタル・テクノロジーの鋭利さを誇示するのではなく、テクノロジーを使って音の角をどんどん丸くしていく、というアプローチ。

テイ自身がインタビュー等で語っている「角を丸くして、サウンド・コンシャスな空間を創り上げたい」という言葉どおり、本作で鳴っているのは、耳を刺すような高域や暴力的な低音ではなく、オーディオ・ファイルとしても極めて質の高い、ふくよかな響きの集積だ。

軽井沢に拠点を移し、自然のサイクルの中で音と向き合うようになった彼の精神性が、都会の喧騒を「ろ過」した後の、純度の高いポップ・ミュージックとして結実している。

かつての広告代理店的な計算高さが減退した代わりに、そこには「良い音で鳴らすこと」への純粋な悦びが、満ち溢れているんである。

豪華で魅力的なゲスト陣

このアルバムが放つ「BIG FUN」なムードを決定づけているのは、テイ・トウワという磁場に吸い寄せられた、これまた豪華で魅力的なゲスト陣の共演だ。

まず僕の耳を強烈に捉えたのが、M-3「Out of My Addiction of Love」。チボ・マットの羽鳥美保をヴォーカルに迎えたこのトラックは、エレクトロニックなビートの上を、シタールのエキゾチックな旋律がゆらゆらと這い回る、極上のオリエンタル・ポップに仕上がっている。

特筆すべきは、羽鳥美保のヴォーカルだ。彼女が放つ「Take It Down!」というフレーズ。その絶妙な発音とタイミング、そして声のトーンが、トラックの浮遊感と完璧に溶け合い、僕の脳内で快感物質をドバドバと分泌させる。

あまりにその言い方がハマりすぎていて、僕は何度もこの曲をリプレイする羽目になった。彼女のような世界を知るヴォーカリストが、肩の力を抜いてテイの構築した箱庭で遊んでいる。その遊びの質の高さが、このアルバムのサウンド・コンシャスな側面を支えている。

そして、もう一人の重要な華が、M-5「A.O.R.」に登場する太田莉菜で。当時は松田龍平との結婚で話題となった人気モデルだが、ここで聴かせる彼女のヴォーカルが、驚くほどアンニュイで、かつスタイリッシュなのだ。

プロの歌手のような過剰なエモーションを排除し、淡々と、しかし確かな体温を感じさせるその声は、タイトルの通り「Adult Oriented Rock/Reconstruction」というコンセプトを見事に体現している。

テイは、太田莉菜という素材の素人っぽさと透明感を、極上のサウンド・テクスチャの一部として鮮やかに配置してみせた。フツーに可愛い女の子をゲストに呼んで、その魅力を最大限に引き出しながら、自分もニコニコとプロデュースを楽しむ。

そんなテイの姿を想像すると、正直言って「羨ましい」以外の言葉が見当たらない。だが、その「羨ましさ」さえも音楽の多幸感へと還元してしまうのが、この時期の彼の魔法なのだ。

細野晴臣や高橋幸宏といったYMOの重鎮たちから、m-floのVERBAL、さらにはビズ・マーキーまでが、この『BIG FUN』という旗の下に集い、ただひたすらに良い響きの中で戯れている。その光景は、極めて不自然で、かつ最高にヘルシーだ。

健康な精神が宿る響き

『BIG FUN』を聴き終えた後に残る、この心地よい聴後感の正体はなんなのだろう。それは、健康な肉体と健康な精神を持ったミュージシャンが、一切の虚飾を剥ぎ取って、ただ音楽という現象そのものを楽しんでいることから来る、圧倒的な健全さ。

クラブ・ミュージック界きっての策士として、かつては綿密なコンセプト・ワークで武装していたテイ・トウワは、本作において、ヘルシーで屈託のない一人のアーティストへと完全なる変貌を遂げた。

90年代の彼が、情報の断片を繋ぎ合わせて「意味」を構築するアーティストだったとするならば、2000年代後半の彼は、音の粒子を整えて「心地よさ」を提示するサウンド・エンジニア的なアーティストへと進化したと言える。

それは、退歩ではなく、音楽の本質への帰還だ。僕たちが音楽に求めるもの。それは、難解なメッセージでも、過剰な自意識の表出でもなく、まずは「鳴っている音が、生理的に気持ちいいかどうか」という、極めてシンプルで原始的な快楽であるはずだ。

テイは、自身の高いオーディオ的感性と、これまでに培った膨大な音楽的アーカイブを惜しみなく注ぎ込み、その「気持ちいい音」の基準を、本作でさらりと更新してみせた。

エッジを削り、角を丸くし、デジタル特有の冷たさを温かなソナー(響き)へと変換する。その作業は、一見すると刺激を減じる行為のように思えるかもしれないが、実はそれこそが最も贅沢で、最も知的な音楽的探求なのである。

『BIG FUN』というアルバムは、僕たちに教えてくれる。音楽とは、気負って聴くものでも、分析して聴くものでもなく、ただそこに在る「BIG FUN」な響きに身を委ね、心身を健康に保つためのものであるということを。

アルバム情報
プレイリスト
  1. 1. Y.O.R.
  2. 2. Taste of You
  3. 3. Out of My Addiction of Love
  4. 4. Lyricist
  5. 5. Twinkle Twinkle Little Star
  6. 6. A.O.R.
  7. 7. Ch. Galaxy
  8. 8. Mind Wall
  9. 9. Siesta
  10. 10. All
テイ・トウワ アルバムレビュー