『k is s』──Kan Sanoが紡ぐ“非接触の情熱”と日本的ソウルの現在地
『k is s』(2016年)は、京都出身の音楽家Kan Sanoがネオソウルを基軸にジャズ、ヒップホップ、ブロークンビーツを融合させたアルバム。『Fantastic farewell』『2.0.1.1.』を経て辿り着いた“自分の音”の確立点である。Rhodesの柔らかなコード、沈黙を活かす間、生活の呼吸を宿すグルーヴ。そこにあるのは派手さではなく、都市の静けさを描く詩的なサウンドスケープだ。
クロスオーヴァーの境界線──ジャンルをまたぐ柔軟な身体
僕がKan Sanoの名前を初めて知ったのは、テレビ朝日系『関ジャム 完全燃SHOW』。蔦谷好位置が『C’est la vie feat. 七尾旅人』を絶賛していた回である。
恥ずかしながらそれまで彼の存在を知らず、慌ててディスコグラフィを掘り返した。調べてみると、ボストンのバークリー音楽大学でジャズ作曲を学びながらも、本人は「ジャズ・ミュージシャン志望ではなかった」という異端児。ホテルのラウンジでピアノを弾き語り、MySpaceにデモを上げ続ける。そんな“地を這う”時代を経て、ようやく光が差す。
CHARA、UA、土岐麻子、大橋トリオ、青葉市子、七尾旅人──そうそうたるアーティストの録音に名を連ねる一方、自身のアルバム制作も並行して進める八面六臂ぶり。
『Fantastic farewell』(2011)から『2.0.1.1.』(2014)を経て、2016年にリリースされた『k is s』は、Kan Sanoが本格的に“自分の音”を掴み取った作品である。
ネオソウルを核に、ヒップホップ、ブロークンビーツ、ジャズ、ハウスが緩やかに混ざり合う。グルーヴの粒立ちは滑らかで、アーヴァンでありながら、どこかパーソナルな温度を保っている。
音楽的立脚点は多層だが、方向性は常に一貫している──「どこにも属したくない」という自由の気配だ。
J-Pop構造からの解放──内省と跳躍のリズム
彼の楽曲は「イントロ→A→B→サビ」というJ-Popの定型を拒む。代わりに採用されているのは、“気配”と“空気”の構築だ。音がメロディではなく“温度”として立ち上がる。
M-4『C’est la vie』では、ゆったりとレイドバックしたRhodesのコードに、七尾旅人のヴォーカルが溶ける。その間に流れる沈黙こそが、この曲の核心。
都会の夜に漂う湿度をそのまま音にしたような、時間の止まった瞬間。そこにあるのは派手なフックではなく、生活のリズムと感情の微細な変化だ。
M-7『Momma Says』は、Kan Sano自身が公言するエリカ・バドゥからの影響を正面から受け止めたネオソウル。あえて“似せる”ことで、逆に“自分”が浮き彫りになる。
過剰な装飾を削ぎ落としたアレンジ、余白を活かすビート、静かに漂う声。そこには「音楽はまだ人の生活の中に息づいている」という確信がある。都会的洗練の裏に、手触りのあるアナログ感が共存する。
Kan Sanoの音楽には、ポップの構造を知り尽くした上でそれを解体する知性がある。Aメロもサビも、もはや“歌”のためではなく“空間”のために配置される。
耳に心地よいコード進行の裏には、アシッド・ジャズ的なリズム解体が潜み、ふとした間にブロークン・ビートの鋭角な影が覗く。結果として生まれるのは、クラブでもリビングでも機能する「二重の快楽」だ。
音楽が人間の呼吸に最も近づいた場所に、Kan Sanoの美学は宿っている。
Kan Sanoが描く21世紀のリスニング体験
tofubeatsとの共通項を笑い半分に語るなら、“細面なトラックメーカー系メガネ男子”というフレーズは、まさに現代日本の都市型音楽家の象徴である。
PCの前で黙々と音を重ね、SNSで発信し、ライブよりもファイル共有で世界と繋がる──そんな“静かな革命”を体現する世代。Kan Sanoはその中でも、最も音楽的で、最も詩的な場所に立っている。
『k is s』というタイトルには、親密さと省略の美学が同居している。言葉にしない、触れない、だが確かに伝わる。Kan Sanoの音楽は、まさにそんな“非接触の情熱”を描く。
彼が紡ぐのは、盛り上がりよりも“余韻”を信じる音楽。そこに漂うのは、都市のノイズの中でなお人の呼吸を感じようとする優しさだ。ネオソウルを経由した日本的リリシズムの最前線──Kan Sanoはその静かな中心にいる。
- アーティスト/Kan Sano
- 発売年/2016年
- レーベル/origami PRODUCTIONS
- Penny Lane
- Magic!
- Reasons feat. Michael Kaneko
- C’est la vie feat. 七尾旅人
- lovechild
- Can’t Stay Away feat. Maylee Todd
- Momma Says feat. 島村智才
- LAMP
- と び ら
- Awake Your Mind
- Let It Flow
