『レミーのおいしいレストラン』(2007年/ブラッド・バード、ヤン・ピンカヴァ)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
『レミーのおいしいレストラン』(原題:Ratatouille/2007年)は、フランス・パリを舞台に、料理人を夢見るネズミのレミーが、人間の青年リングイニと出会い、料理を通じて創造の自由を取り戻していく物語。名店グストーの厨房を舞台に、立場も種族も異なる二人が“作る”ことの意味を模索しながら、芸術と資本、夢と現実のはざまで奮闘する。監督は『Mr.インクレディブル』(2004年)を手掛けたブラッド・バードが務め、圧倒的な映像美と細部にわたる料理描写、そして深い人間ドラマが融合した本作は、第80回アカデミー賞で長編アニメーション賞を受賞した。
- 第80回アカデミー賞:長編アニメ映画賞
- 2007年ニューヨーク映画批評家協会賞:アニメーション映画賞
- 2007年ロサンゼルス映画批評家協会賞:アニメーション映画賞
- 2007年ボストン映画批評家協会賞:アニメーション映画賞
- 2007年ナショナル・ボード・オブ・レビュー:アニメーション映画賞、作品賞トップ10
- 第81回キネマ旬報(外国映画):第9位
- 2007年度映画秘宝:第10位
- 2007年度カイエ・デュ・シネマ:第7位
創造と資本のねじれ
ルーカスフィルム社のコンピュータ・アニメーション部門を前身とし、のちにスティーブ・ジョブズの出資によって独立を果たしたピクサー・アニメーション・スタジオ。
彼らは設立当初から、ジョン・ラセターをはじめとする天才的なクリエイターたちの卓越した技術力とアイデアで、映像業界の注目を一身に集めていた。
しかし、その魔法のような映像の輝きとは裏腹に、彼らを長年悩ませ続けていたのは、常に首元を締め付けるような慢性的な資金難だった。どれほど素晴らしい物語の種を持っていても、それを育てるための資金と環境が整わない限り、豊かな果実を結ぶことはない。そこでピクサーは、アニメーション界の絶対的巨人であるウォルト・ディズニー・カンパニーと提携を結ぶという苦渋の選択をする。
ディズニーが巨大なネットワークを駆使して配給と宣伝を担い、その代わりにキャラクターの著作権を握り、興行収入の半分を持っていってしまうという契約。それはまさに、純粋な「創造」が巨大な「資本」の傘下に入るという、いびつな二重支配の構図の始まりだった。
このパートナーシップは、『トイ・ストーリー』(1995年)の歴史的成功に始まり、『バグズ・ライフ』(1998年)、『モンスターズ・インク』(2001年)、『ファインディング・ニモ』(2003年)と立て続けに特大ヒットを飛ばす間は、理想的な共存関係のように見えていた。
だが、関係は次第に修復不可能なほど軋み始める。ディズニーは配給しか行っていないにもかかわらず利益を折半し、続編の制作権からキャラクターの権利までを独占し続けていたからだ。
自分たちが魂を込めて生み出した創造の主体が、巨大資本の冷たい影に埋没していく。このねじれた構図こそが、当時のピクサーという企業が背負わされた、哀しい宿命だったのである。
ネズミが操る巨大なからくり
契約の見直し交渉は泥沼化し、両者の関係は一時、完全に破綻する寸前まで冷え込んだ。だが、2006年に状況は劇的に一変する。ディズニーの新たなCEOとなったボブ・アイガーが、総額74億ドルという巨額の株式交換方式で、ピクサーを丸ごと買収したのだ。
結果として、ピクサーCEOのスティーブ・ジョブズはディズニーの個人筆頭株主として取締役会に名を連ね、ジョン・ラセターはディズニー・アニメーション部門のトップ(チーフ・クリエイティブ・オフィサー)に就任した。つまり、巨大な帝国に「捕食」されたはずの側が、逆に捕食者の心臓部へと入り込み、その精神を乗っ取ってしまったのである。
ピクサーは資本的には完全にディズニーの傘下に入ったが、その内実は単なる吸収合併ではない。「芸術が資本に飲み込まれる」という絶対絶命の瞬間に、かえって絶対的な創造の自由と権力を手に入れるという、映画よりもドラマチックな逆転劇だった。
そんな新体制下において、ブラッド・バード監督が引き継ぐ形で完成させた最初の長編作品が『レミーのおいしいレストラン』(2007年)である。
したがって、本作は単なる可愛らしいファミリー映画として消費されるべきではない。これは、ピクサーがいかにしてディズニーという巨大なレストランの厨房に入り込んだかを、高らかに宣言する物語なのだ。
料理を愛する一匹のネズミのレミーが、人間の世界に潜り込み、料理の才能がまったくない青年リングイニのコック帽の中に隠れて彼を操る。このあまりにも見事な物語構造こそ、巨大資本に取り込まれながらも、独自の芸術性を保ち、その巨大な身体を内側からコントロールしようとする「ピクサー自身のメタファー」に他ならない。
ディズニー傘下での第一作でありながら、主人公をネズミにしたことも決して偶然ではないはずだ。言うまでもなく、ネズミはディズニー帝国の最も神聖で象徴的なトーテム(ミッキーマウス)であり、同時にアニメーション業界にかけられた巨大な呪縛の象徴でもある。
そのネズミが人間の髪の毛を引っ張ってコントロールする構図は、巨大資本という身体を、創造の精霊が内側から操るという、彼らのしたたかな決意表明なのだ。
アトリエとしての厨房
本作の特筆すべき点は、その制作体制自体が、ピクサーの愛すべき手作り感と哲学をそのまま体現していることだ。
声優陣にはパットン・オズワルト、イアン・ホルム、そして名優ピーター・オトゥールといった実力派が名を連ねているが、もう一人の主人公であるリングイニの声を担当したのは、ハリウッドの有名俳優ではない。
ピクサーでプロダクション・デザイナーを務めていた一介の社員、ルー・ロマーノだった。通常、アニメーション制作ではスタッフの仮声で絵コンテを繋ぎ、のちにプロの俳優をキャスティングするプロセスを踏む。しかし、ブラッド・バード監督はロマーノの生々しく愛嬌のある演技を気に入り、そのまま本編に採用してしまった。
これは単なる偶然の産物ではない。スタジオという名の厨房で、気心の知れた仲間たちとともにアイデアを調理し、自分たちの手で味を確かめながら作品を練り上げていく。
そこに職業的な分業の壁はなく、誰もがフラットに意見を交わす創造の民主化がある。彼らにとってアニメーション作りとは、効率を求めるベルトコンベア式の企業生産ではなく、温もりのある共同体的なアトリエなのだ。
資本と芸術の抗争史
物語の終盤、かつて栄華を極めたグストーのレストランは、衛生問題(ネズミの存在)が発覚してあっけなく閉店に追い込まれてしまう。「ネズミが極上のフレンチを作る」という美しい矛盾は、やはり現実の資本主義システムのなかでは存続できなかったのだ。
しかし、この崩壊は決してバッドエンドではない。レミーたちは気心の知れた仲間たちとともに、小さな、けれど本当に美味しい料理だけを出すビストロ「ラタトゥイユ」を新しくオープンさせ、再び厨房に立つ。
これこそが、「たとえ巨大資本の支配下にあっても、自分たちの魂と創造性だけは絶対に守り抜く」というピクサーの力強い宣言である。冷徹な批評家であるアントン・イーゴが最後に辿り着いた「誰にでも料理はできる(誰もが偉大な芸術家になれるわけではないが、偉大な芸術家はどこからでも現れ得る)」という真理。
それは、希望のメッセージであると同時に、アニメーションという途方もない労働に向き合うクリエイターたちの、切実で美しい哲学に他ならない。
『レミーのおいしいレストラン』は、極上のエンターテインメントの装いの下に、資本と芸術の抗争史を優しく内包している。ピクサーはディズニーという巨大な胃袋に飲み込まれたが、決して消化されることなく、その内側で温かなスープを作り続けている。
どんな環境にあっても、純粋な創造は可能だ。本作は、その揺るぎない信念を、芳醇なパリの厨房の匂いとともに見事に証明してみせた、映画史に残る美しき傑作なのである。
参考文献・出典
- 監督/ブラッド・バード、ヤン・ピンカヴァ
- 脚本/ブラッド・バード
- 製作/ブラッド・ルイス
- 製作総指揮/ジョン・ラセター、アンドリュー・スタントン
- 原作/ヤン・ピンカヴァ、ジム・カポビアンコ、ブラッド・バード
- 撮影/ロバート・アンダーソン、シャロン・カラハン
- 音楽/マイケル・ジアッチーノ
- 編集/ダレン・T・ホームズ
- レミーのおいしいレストラン(2007年/アメリカ)
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