一切の装飾を排した、厳然たるストイシズム
2009年の春に僕は単身京都へ遊びにいったのだが、龍安寺の方丈庭園でも、伏見稲荷大社の千本鳥居でも、僕はただひたすらiPodで『Out Of Noise』(2009年)を聴いていた。
枯山水的というか、一切の装飾を排した厳然たるストイシズムに、このアルバムは抜群の相乗効果をもたらすようである。いつしか僕の身体は、クリスタルのように澄んだ穏やかさに満たされ、深い深い羊水の底に身を浸していた。
分厚い雲が太陽を覆い隠すモノトーンの世界。しかし、その雲の切れ間から、一筋の光が燦々と差し込んでいる…。初めて僕がこのアルバムを聴いたときに浮かんだ風景は、そのようなものだった。
実際この『Out Of Noise』は、坂本龍一が北極圏のグリーンランドを訪れた体験が大きな影響を及ぼしているらしい。
M-8の『disko』は、グリーンランドにあるdisko島でそりを引く犬の鳴き声に、小山田圭吾のドリーミーなギター演奏を重ね合わせたものだし、M-9の『ice』は、北極圏の海中にマイクを突っ込んで集めた音をサンプリングしたトラックだ。
坂本龍一はさるインタビューで、
「北極圏体験はいまだに咀嚼できないし、だから表現することも難しい」
と述べているが、この「咀嚼しない」ことが『Out Of Noise』を至高のアンビエント・ミュージクたらしめたんではないか。
メロディーに物語性を付与する和声進行にとらわれることなく、その音の響きを純化して取り出すことによって、北極の冷たい空気が流れる“静謐な世界”を創造しえたんではないか。
特に僕が最も愛聴しているM-1『Hibari』は、ひとつのメロディーが波紋のように広がって、揺らぎ、また広がって行く、圧倒的に美しい作品だ。
幾何学的に音のかけらを配した、ミニマルなサウンドスケープ。残響がゆるやかに積み重なって行く構造は、無時間性すら感じさせる。音楽における美しさとは、ひょっとしたらメロディーではなく、ビートでもなく、“ゆらぎ”にあるのかもしれない。
《補足》
2009年3月18日(水)、僕は東京国際フォーラムにて、坂本龍一の「Ryuichi Sakamoto Playing the Piano 2009」ツアー初日を観に行った。
チケット代8,400円というのはちょっと高額だが、この金額にはカーボンオフセット代が含まれているんだそうで、要はアルバム『Out Of Noise』と同じ仕掛けである。
いかにもエコに熱心な、教授らしい洒落た発想。ライヴの曲順は場当たり的に決めているとMCで言っていたが、これって元妻である矢野顕子の影響ですか。
『composition 0919』の演奏時には、自由に写真を撮っていいという前代未聞な試みもあり、やたらケータイのシャッター音が鳴り響いていたが、逆にそれが『未来派野郎』(1986)収録曲の『Ballet Mecanique』のシャッター音みたいで、妙に調和してました。
フラッシュの光も幻想的だったし。
- アーティスト/坂本龍一
- 発売年/2009年
- レーベル/commmons
- hibari
- hwit
- still life
- in the red
- tama
- nostalgia
- firewater
- disko
- ice
- glacier
- to stanford
- compotision 0919
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