あさってDANCE/山本直樹

あさってDance 1

ただひたすらセックスに励む動物的行為を観察する山本直樹の眼差し

森山塔名義でバリバリのエロ漫画家だった山本直樹にとって、その真骨頂はねっとりとしたセックス描写にある。そして作者はセックスの「痛み」を、作品のヒロイン達に義務付ける。繊細な線で描写される彼女たちはその痛みを享受し、男たちのダッチワイフとなることもいとわない。

華奢な身体でレイプまがいの暴行も受けるし、ゴムは当然つけないし、アナルセックスにだって応じてしまう。しかし彼女たちは大声をあげて事を荒たてることもなく、死んだ魚のような目つきでそれを受け入れる。

しかし『あさってDANCE』(1989年〜1991年)では、常に挑発するのは女だ。この作品が山本直樹のどの作品よりもライトコメディーなタッチで描かれているのは、男性主導の呪縛から解き放たれた、フットワークの軽さに起因する。性の被虐者だったオンナ達は、遂にその主導権を得たのだ。

寺山スエキチは、市民劇団に所属しながら、アルバイトに精を出すフツーの大学生である。そんな彼のもとに、死んだひい爺さんの遺言により4億5千万の遺産が転がり込むことに。

相続条件は、スエキチが立派な社会人になって結婚するというもの。困惑する彼の前に突然現れた謎のオンナ、日比野綾。果たして彼女の正体は?単なるカネ目当てなのか?そこに愛はあるのか?

な~んてことをウダウダ考えながら、でも気持ちいいから、綾ちゃんとセックスしまくるスエキチ君。分かるぜ、その気持ち!)物語は、基本的にこの繰り返しである。

俺ら男っつーのは、理性であーだこーだ理屈つけようとするから、「愛のないセックス」にもいろいろ理由付けしなきゃいけない訳である。「浮気は男の甲斐性」などという言葉は、性欲を自己正当化する為に編み出された常套句だ。

しかしこのマンガを読むと、女は男より感情と体のバランスがいいって感じがする。「セックスしたい!」イコール「好き!」っていう単純な方程式が組み立てやすいんだろうな。

スエキチ君がず~っと「このオンナは金目当てだ!」とか言いながらセックスしているのは、根本的な自己矛盾を抱えているのであって、だから彼は全編にわたってサエナイのである。「俺はオマエを愛してはいないけど、セックスは大好きだ!」なんて言わせたら最高だったんだが。

かつて「不健全なマンガ」として、『BLUE』(1991年)が有害図書に指定されてしまったこともあるが、言ってしまえばセックスなんてそもそも不健全なもんである。別にそこに愛があろうが無かろうが関係なし。

BLUE (OHTA COMICS)
『BLUE』(山本直樹)

ただひたすら、セックスに励む動物的行為。山本直樹は、それを切り取る観察者に過ぎない。

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