光から闇の世界へ、そして闇から光の世界へ。デヴィッド・リンチ流“ビバリーヒルズ高校白書”
青い空、赤いチューリップ、白いフェンス、そしてロイ・オービンソンの歌う『Blue Velvet』の甘ったるいメロディー。
とてつもなく牧歌的な風景で『ブルー・ベルベット』(1986年)は幕を開ける。カルトだ、アングラだと変態扱いされているデヴィッド・リンチは、実はベタな典型的なアメリカン・ホームドラマ好きなんではないか。
『ツインピークス』(1990年〜)でも感じたことだが、彼の映画では思春期を迎えたティーンエイジャーを’80sの青春映画みたいなノリで爽快に描いてしまう。ダンスパーティーあり、ドライブデートありの青春ドまん中テイストは、例えるなら、『初体験 リッジモンド・ハイ』(1982年)みたいな感じ。
でもリンチはきっちりとダークサイドの部分をも暴いていく。全ての光には影がある。『スター・ウォーズ』で言えば、ジェダイあるところに暗黒面ありってなもんで、リンチは特にダークサイドの描写に御執心。リンチが描く青春映画は、“裏ビバリーヒルズ高校白書”のごとき様相を呈しているんである。
光の世界から、ふとしたことで闇の世界へ足を踏み入れるカイル・マクラクランの前には、二人のファム・ファタールが登場する。光の象徴としてのローラ・ダーンと、闇の象徴としてのイザベラ・ロッセリーニ。
光の使者ローラ・ダーンはその純真無垢さゆえに、歓喜に身を震わせながら「平和と希望に満ちあふれた世界」を熱弁する。
「あなたと逢った日の夜、夢をみた。はじめは闇だけ。それはコマドリがいなかったからよ。コマドリは平和の象徴でしょ。でも突然たくさんのコマドリだちが一斉に放たれて、愛の光と共に舞い降りてくるの。愛だけが闇の世界を変えるの…」
どっかの新興宗教みたいなテンションにちょっと引いてしまうが、彼女の限り無い無垢な処女性はこのセリフに込められている。
一方、イザベラ・ロッセリーニはどうか。夫を人質にとられている彼女はデニス・ホッパーのモルモットであり、性生活のバランスを大きく崩している。行動は常識を逸脱し、不法侵入者のマクラクランを無理矢理ハダカにしたあげく、フェラチオまでしてベッドに誘う。
「オッパイを触って…、ホラ、乳首が固くなった。…ねえ、私をぶって。…ぶって。…ぶって!」
彼女の「Hit me!」という言葉に呼応するように、マクラクラン君も遂に理性のタガが外れ、彼女を激しく殴打する。ビシバシ!!そうだ、やれ!どんどんやれ!
この瞬間、彼はダークサイドへの扉を開ける。イザベラ・ロッセリーニがみせる崩れた中年の裸体は(当時まだ34歳とは思えないヌードでした)、ローラ・ダーンの無垢さに対照する禁断の果実である。
リンチは相反するイメージを同フレームにおさめてしまう。デニス・ホッパーにタコ殴りされるマクラクラン君の後ろでは、くたびれた娼婦が珍妙なゴーゴーを踊っているし、「ママ、ママ」と甘えた声を出すデニス・ホッパーは、呼吸マスクを装着してイザベラ・ロッセリーニとファックする。甘美なものと暴力は表裏一体だ。
だからマクラクランはイザベラ・ロッセリーニを愛したし、ローラ・ダーンも愛した。「それが人間ってもんさ」とリンチはフィルターを覗き込みながらほくそ笑んでいるのだろうが。
『ブルーベルベット』は光から闇へ、そしてまた光の世界へ舞い戻ってくる男の物語だ。そしてリンチは日常のあらゆる場所に「闇」があることを我々に示す。『ツイン・ピークス』のブラックロッジはすぐそこにある。それを受け入れた時、我々はリンチ・ワールドの住人になるだろう。
- 原題/Blue Velvet
- 製作年/1986年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/121分
- 監督/デヴィッド・リンチ
- 脚本/デヴィッド・リンチ
- 製作/フレッド・カルーソ
- 音楽/アンジェロ・バダラメンティ
- 製作/フレッド・カルーソ
- 製作総指揮/リチャード・ロス
- 撮影/フレデリック・エルムス
- 美術/パトリシア・ノリス
- 特殊メイク/ディーン・ジョーンズ
- 音楽/アンジェロ・バダラメンティ
- 編集/デュウェイン・ダンハム
- カイル・マクラクラン
- イザベラ・ロッセリーニ
- デニス・ホッパー
- ローラ・ダーン
- ディーン・ストックウェル
- ジョージ・ディッカーソン
- ホープ・ラング
- ブラッド・ドゥーリフ
- ジャック・ナンス
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