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エアフォース・ワン/ウォルフガング・ペーターゼン

『エアフォース・ワン』──ハリソン・フォードが体現した“行動する大統領”の矜持

『エアフォース・ワン』(原題:Air Force One/1997年)は、ウォルフガング・ペーターゼン監督が手掛けたアクション映画である。ハリソン・フォード演じるアメリカ大統領マーシャルが、テロリストに占拠された専用機を奪還するために闘う。政治ではなく行動で語るリーダー像を、肉体のリアリズムとして描く。

大統領というヒーロー像──“政治”より“肉体”のリアリズム

考古学者(『インディ・ジョーンズ』)、刑事(『刑事ジョン・ブック/目撃者』)、検察官(『推定無罪』)──幾多の肩書を経て、ついに大統領にまで上り詰めたハリソン・フォード。その職務はもはや外交でも演説でもない。銃を構え、敵を殴り、機体を奪還することである。

ウォルフガング・ペーターゼン監督の『エアフォース・ワン』(1997年)は、アメリカ映画が生み出した“最強のプレジデント像”を提示する。だがフォード演じるジェームズ・マーシャル大統領は、決して無敵のヒーローではない。

むしろ彼は疲れ切った戦士であり、暴力と責任の間で引き裂かれた人間だ。ペーターゼンは“政治的権威”としての大統領を解体し、“肉体的主体”として再構築する。国家を統治する理性よりも、国家を防衛する肉体。理想の倫理ではなく、暴力によって秩序を回復するという神話。

映画の中で繰り返されるのは、「人間の命は等価ではない」という非対称の構図だ。大統領を守るために犠牲になる部下たちの死は、悲劇ではなく美学として処理される。

ペーターゼンはこの残酷な構図を、徹底した職人技によって映画的快感に変換する。人の死は国家の栄光へと奉納され、犠牲はカタルシスとして美化される。ここにこそ、ハリウッド・アクションが持つ根源的な矛盾──暴力を糧とするエンターテインメントの宿命が凝縮されている。

密室のアメリカ──『ダイ・ハード』の影とペーターゼンの空間操作

ペーターゼンは旅客機という“空を漂う密室”を、完璧なドラマ空間に仕立てた。構造的には『ダイ・ハード』(1988年)の亜流でありながら、その空間演出はより精緻である。

貨物室から客室、外壁から格納庫へ──縦軸を巧みに活用した動線の構築によって、観客の視線を常に揺さぶる。これは『U・ボート』(1981年)で培われた閉鎖空間サスペンスの応用にほかならない。

『エアフォース・ワン』は、潜水艦を空に浮かべた映画なのだ。通信手段の確保、仲間の救出、武器の奪取──物語の駆動装置はどれも古典的だが、ペーターゼンのテンポ制御は圧倒的である。無線の沈黙と爆発音、息遣いと静寂。その緩急が観客の心拍を支配する。

密室の中で生まれる緊張は、国家の縮図そのものだ。閉じた空間の中で、権力は試され、秩序は崩壊し、暴力が再び秩序を生み出す。まさにこれは、空飛ぶホワイトハウス=アメリカそのものの寓話といえる。

そして、そのリアリティを支えるのがハリソン・フォードの“等身大の英雄像”だ。彼のヒーローは、勝利の歓喜ではなく、責任の重さを背負っている。フォードが拳を振るう時、それは正義の行使ではなく、国家の倫理の延命措置だ。

筋骨隆々ではなく、息を切らし、血を流し、汗にまみれる肉体──この「不完全さ」こそが観客の共感を呼ぶ。フォードは神話的ヒーローではなく、神話を信じたい凡人である。彼の殴打は、信仰の代わりに置かれた“祈りの暴力”なのだ。

映画が描く「責任」の美学

『エアフォース・ワン』はB級アクションとして設計されながら、結果的に“職業倫理の映画”へと変貌している。ゲーリー・オールドマンの狂信的なテロリスト、グレン・クロースの副大統領、ウィリアム・H・メイシーの忠実な少佐──いずれも“役割”に殉じる人物たちだ。

国家を守る者、命令に従う者、正義を信じる者。全員が「職務」という名の信仰に支配されている。ペーターゼンは、善悪を超えた“プロフェッショナル”たちの世界を描く。

彼らは倫理よりも任務を優先し、感情よりも規律に従う。だからこそ、その行動は冷たくも美しい。フォードが彼らの死を見送るたび、映画は小さな葬送曲のように沈黙する。その沈黙の中に、ペーターゼンの職人としての矜持が息づいている。

もはや映画に政治的リアリズムは存在しない。だが、それこそがペーターゼンの狙いである。『エアフォース・ワン』は、国家のフィクション構造を露わにする。つまり“アメリカという国は、自らを映画として演出する”という事実だ。

議会での決断ではなく、肉体で語るリーダー。冷戦後のアメリカが求めたのは、理念より行動、理屈より殴打であった。国家は理想を失い、英雄の肉体にその理想を託す。この構図こそが、1990年代アメリカの無意識の告白なのだ。

ラスト、大統領が救出されるヘリコプターの中で、通信士が告げる。「こちら“エアフォース・ワン”、大統領を確保」。この台詞が響く瞬間、映画は現実を離れ、純粋な映画的救済へと跳躍する。

観客が歓声を上げるのは、政治の勝利ではなく、“演出としての正義”への喝采である。映画はここで、国家の現実を超え、アメリカという夢そのものになる。

ペーターゼンは“国家の神話”を作る映画人であり、フォードはその神話を演じる俳優である。暴力と正義のあいだに漂う微かな倫理──そこにこそ、『エアフォース・ワン』の真の主題が潜んでいる。殴ることで秩序を保ち、犠牲を讃えることで国家を再生する。

矛盾に満ちたこの構造こそ、ハリウッドが創造したもう一つの“アメリカン・ドリーム”なのだ。のもの”に対してなのだ。

DATA
  • 原題/Air Force One
  • 製作年/1997年
  • 製作国/アメリカ
  • 上映時間/125分
STAFF
  • 監督/ウォルフガング・ペーターゼン
  • 製作/ゲイル・カッツ、アーミァン・バーンスタイン、ジョン・シェスタック、ウォルフガング・ペーターゼン
  • 脚本/アンドリュー・ダブル・マーロー
  • 撮影/ミハエル・バルハウス
  • 音楽/ジェリー・ゴールドスミス
  • 編集/リチャード・フランシス・ブルース
  • 美術/ウィリアム・サンデル
CAST
  • ハリソン・フォード
  • ゲーリー・オールドマン
  • グレン・クロース
  • ウェンディ・クルーソン
  • ウィリアム・H・メイシー
  • ポール・ギルフォイル
  • ディーン・ストックウェル
  • ザンダー・バークレー
  • ビル・スミトロビッチ
  • イリア・バスキン
  • ユルゲン・プロホノフ