近代的な音楽システムから遠く離れた、アブストラクトで非同期な“音”
「あまりに好きすぎて、誰にも聴かせたくない」。
坂本龍一自身の言葉通り、『Out Of Noise』(2009年)以来8年ぶりとなるオリジナルアルバム『async』(2017年)は、マスコミ関係者へのサンプルCD配布や事前試聴が全くないまま、ひっそりとリリースされた。
“async”とは耳慣れない言葉だが、これは“asynchronization”の省略形で、非同期のこと。確かにこのアルバムには、規則的なコード進行、規則的なリズム…つまり、近代的な音楽のシステムからは遠く離れた、アブストラクトな音がコンパイルされている。
同期するのは人間も含めた自然の本能だと思うのですが、今回はあえてそこに逆らう非同期的な音楽を作りたいと思いました。
(GQ JAPANインタビュー記事より抜粋)
それは、自然界に存在する環境音を、あるがままにサウンドとして取り込むことを意味しているんだろう。これまでになくフィールド・レコーディングに意識的な作品になったのは、その証左だ。
雨や足音といった自然音、そしてデヴィッド・シルヴィアンやポール・ボウルズによる朗読。このアルバムには、様々な音のマテリアルが精緻に配置されている。
自然界の音と、和音との融合。きっかけとなったのは、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の『レヴェナント: 蘇えりし者』(2015年)だったそうな。
『レヴェナント』で、監督から自然と音の癒合、音と音楽のレイヤーという注文を受けたので、いろいろ試行錯誤したことが役立っています。
(OTOTOYインタビュー記事より抜粋)
『レヴェナント: 蘇えりし者』サウンドトラックも、『async』も、坂本龍一が弾くピアノは決してクリアな音色ではない。どこか霞のかかったような、ガラス一枚を隔てたようなくぐもった響き。
境界線の輪郭がぼんやりしているからこそ、ピアノの音色と自然界の音が調和され、有機的に混じり合っているのだ。
だが『async』は、『Out Of Noise』よりもはるかに音のバリエーションが多彩な作品でもある。M-6『stakra』は、『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987年)を思わせるスペーシーなサウンドだし、M-12『honji』は雅楽を全面フィーチャーした武満徹風の現代音楽。アルバム・タイトル曲のM-9『async』は、カールハインツ・シュトックハウゼンのような不穏かつ不安定な旋律が永遠に繰り返される。
僕はこのアルバムを聴きながら、鉛色の雲に覆われた冬枯れの景色を思い浮かべたのだが、そもそもライナーノーツには、『async』のコンセプトが「架空のタルコフスキー映画のサウンドトラック」であると記されている。
確かにM-3『solari』は『惑星ソラリス』(1972年)から着想を得ているのだろうし、M-11『Life, Life』で読み上げられるのは、タルコフスキーの父アルセニーの詩集からの一節だ。だがそれ以上にこのアルバムには、アンドレイ・タルコフスキー的な映像を喚起させる、サウンドスケープとしての力がある。
一切の感傷性を配したような、澄み切った音の一粒一粒。それが孤高の空間のなかで交錯し、結合している。教授、「あまりに好きすぎて、誰にも聴かせたくない」とおっしゃった気持ち、僕にも分かるような気がします。
- アーティスト/坂本龍一
- 発売年/2017年
- レーベル/commmons
- andata
- disintegration
- solari
- ZURE
- waiker
- stakra
- ubi
- fullmoon
- async
- tri
- Life, Life
- honj
- ff
- garden
最近のコメント