『3年B組金八先生』オマージュ?映画文法を逸脱した青山真治節
【思いっきりネタをばらしているので、未見の方はご注意ください。】
『レイクサイド マーダーケース』(2004年)は、東野圭吾の『レイクサイド』(2002年)を原作としたミステリー映画…ではなく、実はコレ、年頃の子供を持つ親たちのディスカッション・ドラマである。
「もーイマドキの子供って何考えてるんだか分からん!でもウチの子供のためなら何でもする!それが親!」という『ウチの子に限って』的プロットを、湖畔の殺人事件というサスペンス風味で仕上げた作品なのだ。えー「親の心子知らず 子の心親知らず」的ストーリー、とでも言いましょうか。
だもんで、落としたイニシャル入りライターとか、消えたタバコとか、薬師丸ひろ子が未来を予見できるとか、役所広司がやたら直接光を浴びせられるだとか、一応ミステリーっぽい伏線はいろいろ張っているんだが、見事なまでに何一つ機能せず。
ジャン・リュック・ゴダールと、クリント・イーストウッドを心の師匠と仰ぐ青山真治は、生半可なミステリー映画の醸成なんぞには目もくれず、“青山真治”的な映像空間の創出に腐心するのだ。
役者の演技によるアンサンブルが映画の中核を成す本作において、その演出方法は極めて演劇的。複数の人間たちが入り乱れる屋内ドラマであるからして、そりゃどうしたってそうなるんだが、特に人物の配置の仕方がすごくシアトリカルだ。
例えば別荘内で、6人の親たち(役所広司、薬師丸ひろ子、柄本明、黒田福美、鶴見辰吾、杉田かおる)が死体の処理に思案するシーンで、黒田福美だけが階段の上に座っているのは、明らかに縦の構図バランスに配慮した、舞台的ポジショニング。
実際の殺人現場でトヨエツに、「アンタたちは醜い!」と糾弾されるシーンで、ひとつの画面に6人全員が収まっているカットなんぞ、完全に舞台的構図。このあたり、青山真治の職業作家としてのプロフェッショナリズムを感じます。
屋内劇かつ群衆劇って、こういう演出なんでしょ?みたいな。だが、ストーリーの流れとは無関係に不意に屹立した“映画”が顔を覗かせる瞬間があって、たぶんそれが“青山真治”な瞬間なんである。
仙頭武則や亀山千広といった名うてのプロデューサーも黙認せざるを得ない、優れて映画的な瞬間。それは例えば、夜の帳を引き裂くように、青白い光を放ちながら走り去るクルマを横パンするショットであり、惨殺された眞野裕子が緑濃ゆる森の中を浮遊するショットである。
ミステリー映画として鑑賞してしまうと、消化不良も甚だしい『レイクサイド マーダーケース』。その映画文法を逸脱したところに、実は本作の最もコアとなる部分が隠されているのだ。
…どうでもいいけど、鶴見辰吾&杉田かおるの夫婦役って、『3年B組金八先生』(1979年〜)オマージュってことですかね?主題も「お受験」ってことで、ビミョーにかぶってるし。
- 製作年/2004年
- 製作国/日本
- 上映時間/118分
- 監督/青山真治
- プロデューサー/仙頭武則
- エグゼクティブ・プロデューサー/亀山千広、宅間秋史、小岩井宏悦
- 原作/東野圭吾
- 脚本/青山真治、深沢正樹
- 撮影/たむらまさき、池内義浩
- 美術/清水剛
- 音楽/長嶌寛幸
- 照明/中村裕樹
- 録音/菊池信之
- 役所広司
- 薬師丸ひろ子
- 柄本明
- 鶴見辰吾
- 杉田かおる
- 黒田福美
- 眞野裕子
- 豊川悦司
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