『スパイダーマン3』──なぜヒーローは“黒いスーツ”をまとったのか?
『スパイダーマン3』(原題:Spider-Man 3/2007年)は、サム・ライミ監督によるシリーズ三部作の完結編である。恋人MJとの関係に悩むピーター・パーカーが、謎の黒い寄生生物に取り憑かれ、自らの攻撃性と憎悪に飲み込まれていく。サンドマンやヴェノムといった新たな敵との戦いを通じ、ヒーローの“内なる闇”と向き合う物語が展開する。
巨額製作費と超大作バブルの象徴
2007年公開の『スパイダーマン3』は、当時の映画産業の桁外れなスケールを象徴する一本だ。製作費は史上最高額の3億ドル(約357億円)、北米週末興行収入は1億5,100万ドル(約177億円)を記録し、公開直後から桁違いの数字がメディアを賑わせた。
日々をギリギリで糊口をしのぐ僕のような貧乏フリーライターには、その途方もない金額はもはや実感すら湧かない。もはや「天文学的数字」としか言いようがない領域で、映画は巨大な産業として肥大化していた。
この時代、ハリウッドは「超大作バブル」と呼ぶべき状況にあった。『ロード・オブ・ザ・リング』三部作(2001〜2003)や『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズ(2003〜)といった作品群が、国家予算に匹敵する額を投じて製作され、世界中で数千億円規模のリターンを叩き出す。『スパイダーマン3』もその文脈に位置づけられる、ゼロ年代ハリウッドの「肥大化した祝祭」の一環だったのである。
そんな金満バブルの祝祭において、僕がスクリーンで最も仰天したのは、実はCGでもアクションでもない。グウェン・ステイシー役に起用されたブライス・ダラス・ハワードの姿であった。
M・ナイト・シャマラン監督の『レディ・イン・ザ・ウォーター』(2006年)やラース・フォン・トリアー監督の『マンダレイ』(2005年)で見せていた神秘性は雲散霧消。けばけばしく化粧を施したフルモデルチェンジぶりに、びっくり仰天してしまったのである。
ビルディングス・ロマンとしての三部作完結
さて、肝心の物語に話を戻そう。本作はヒーロー・アクションの衣をまといつつ、その骨格は青春映画──すなわちビルディングス・ロマンである。
『スパイダーマン』(2002年)で「大いなる力には大いなる責任が伴う」と自覚し、『スパイダーマン2』(2004年)でヒーローとしての自己犠牲を選んだピーター・パーカー。すでに成長を描ききった後の第3作に、果たして新たな成長物語は成立するのか? 多くの批評家がそう疑っていた。
だがライミは、観客の予想を裏切る「ブラック・スパイダーマン」という荒業で突破する。未知の寄生生物に取り憑かれたピーターは、攻撃本能と憎悪に支配される“黒ピーター”へと変貌し、従来の“白ピーター”と対立する。内面の二重化、善と悪の自己分裂。それは思春期の葛藤そのものであり、三度目の青春映画を成立させる仕掛けだった。
ここで描かれるのは、外部の敵ではなく、自分自身との戦いである。成長譚としての物語を三度繰り返すために、ライミは「内面化」という手を使った。ブラック・スーツのプロットは、決して安易なギミックではなく、ビルディングス・ロマンを継続させる必然の仕掛けだったのである。
ヴィラン乱立のリスクと収束
さらに物語には、サンドマン、ヴェノム、ニュー・ゴブリンといった人気ヴィランが次々に投入される。敵役の乱立はシリーズ崩壊の典型パターンであり、実際に多くの観客も「詰め込みすぎ」と感じたことだろう。
だが、ライミは物語の軸をピーターの内面にがっちり固定することで、破綻を免れている。サンドマンの復讐劇も、ヴェノムの憎悪も、結局は「怒り」「恨み」といった感情の外在化として機能し、ピーターが自らの闇と向き合う物語に収束していくのだ。
この構造的なまとめ方は、第一作の「責任」、第二作の「自己犠牲」に続き、第三作では「自己分裂と統合」というテーマへと結実している。三部作全体がきれいに一つの成長物語として閉じられたことは、ライミ演出の見事な手腕といえるだろう。
ブラック・ピーターの寓意──9.11以後のアメリカ
では、この“黒ピーター”は何を意味しているのか。単なる悪のコスチュームチェンジではない。それは2000年代のアメリカ社会が抱えていた深い亀裂の寓話である。
9.11以降、アメリカはテロとの戦争に突入し、正義の名のもとに暴力を行使する国家となった。だが、その暴力はしばしば「復讐」「憎悪」という負の感情に根差していた。『スパイダーマン3』は、正義と報復の間で揺れ動く国家の姿を、ピーターの内面に投影してみせたのではないか。
「白ピーター」と「黒ピーター」の分裂は、善悪の単純な二元論を超えた、現代社会の複雑さを映し出している。自己統合の物語とは、同時にアメリカという国の統合の物語でもあったのだ。
サム・ライミの作家性と大衆娯楽
ここで忘れてはならないのは、サム・ライミ自身の作家性だ。『死霊のはらわた』に代表されるように、彼は元来、低予算の中で独創的なカメラワークとエネルギッシュな演出を武器にしてきた。
スパイダーマン三部作でも、摩天楼を縦横無尽に飛び回るスウィングショットの爽快感は、ライミ特有の“突進カメラ”の延長線上にある。巨額予算を与えられつつも、彼の演出は常にB級ホラーの血脈を引いていた。
『スパイダーマン3』は、ハリウッドの巨大資本がライミという個性を飲み込みつつ、なおかつ監督が最後まで作家性をねじ込んだ結果として生まれた、不思議な均衡の産物である。だからこそ本作は、過剰でありながらもユニークな魅力を失っていない。
- 原題/Spider-Man3
- 製作年/2007年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/140分
- 監督/サム・ライミ
- 製作/ローラ・ジスキン、アヴィ・アラド
- 製作総指揮/スタン・リー、ジョゼフ・M・カラッシオロ 、ケビン・フェイグ
- 脚本/アルビン・サージェント 、サム・ライミ 、アイバン・ライミ
- 撮影/ビル・ホープ
- 音楽/クリストファー・ヤング
- 美術/ニール・スピサック、J・マイケル・リヴァ、レスリー・A・ポープ
- トビー・マグアイア
- キルスティン・ダンスト
- ジェームズ・フランコ
- トーマス・ヘイデン・チャーチ
- トファー・グレイス
- ブライス・ダラス・ハワード
- ジェームズ・クロムウェル
- ローズマリー・ハリス
- J・K・シモンズ
- ビル・ナン
