虚構性がより深化した、昭和ノスタルジー・シリーズ第二弾
昭和30年代という古き良き時代を、CGの多用によってレトロ・フューチャーとして再現し、ノスタルジーをてらいもなく記号化してしまった第一作『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005年)。
続編である『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(2007年)においても、その虚構性はキープされている。っていうか、より深化している。
なんつったって、初っ端からCG丸だしのゴジラが東京の街を襲うのだ。小説家の茶川(吉岡秀隆)の書いた一節が映像化されたシーンとはいえ、監督の山崎貴がいかに今作の虚構性に対して自覚的であるかを、端的に表している。
『ALWAYS』シリーズで山崎貴がバストショットを多用しないのは、人物に寄ることよりも、昭和34年の町並みをたっぷり見せることを第一義にしているからだし、ダイナミックなクレーン撮影を使うのは町並みをロングでみせるためだし、長回しが多いのはヒューマンドラマとしての輪郭を崩さないためである。
ノスタルジーをてらいもなく映像化するにあたって、用意周到な計算と戦略が張り巡らされているのだ。
小雪が「夕日がきれいね」というと、たいして可愛くもないガキが「僕、何でか知っているよ。それは3人でみているからだよ」とのたまい、吉岡秀隆が「そうかもしれないなあ」とつぶやく、この全身がムズ痒くなるようなセリフの掛け合い。
コレをいけしゃあしゃあと、臆面もなくラストシーンに配置してしまう確信犯ぶりにこそ、この映画の成功の秘密がある。
使い古されて陳腐に成り下がったコテコテすぎる物語を、ノスタルジーという名前のマジックでリサイクルし、CG多用のコンテンポラリーな文体に洗練させて、21世紀に蘇らせてしまった映画。やはりこの映画、色んな意味で自覚的である。
何でも、プロペラ機が羽田空港から飛び立つシーンを撮るにあたって、わざわざ同じ型のプロペラ機があるアラスカまで離陸音を録りにいったというから、そのディティールの細かさたるや海洋堂のフィギュア並み。
CGで創り上げられた人工世界にフェイクとしてのディティールが付加された瞬間、『ALWAYS 続・三丁目の夕日』は映画として絶対的な強度を得て、観る者の涙腺を片っ端から緩めまくる。
確かに僕も号泣してしまいました。クヤシイけど。
- 製作年/2007年
- 製作国/日本
- 上映時間/145分
- 監督/山崎貴
- 脚本/山崎貴、古沢良太
- 製作総指揮/阿部秀司、奥田誠治
- 製作/高田真治、亀井修、島谷能成、平井文宏、島本雄二
- 原作/西岸良平
- 撮影/柴崎幸三
- 美術/上條安里
- 音楽/佐藤直紀
- 特撮/山崎貴
- 吉岡秀隆
- 堤真一
- 小雪
- 堀北真希
- 三浦友和
- もたいまさこ
- 薬師丸ひろ子
- 須賀健太
- 小清水一揮
- マギー
- 温水洋一
- 小日向文世
- 吹石一恵
- 平田満
- 手塚理美
最近のコメント