狂気の世界に少しずつ足を踏み入れていく女と、ぶっきらぼうながらも真っすぐな愛で彼女を温かく見守る男。『こわれゆく女』は、弓をキリキリと引くような緊張感が全編を貫く、THE・愛憎ドラマだ。
ジョン・カサベテスは、そんな張りつめた空気を生成するにあたって、余計な状況説明シーンはいっさいがっさいカット。決めドコロはぜーんぶ役者の顔にカメラを寄せるという方法論を貫いている。
例えば冒頭近く、土木作業現場近くのカフェでピーター・フォークたちがひとときの休息を楽しむシーン。ここでは、カフェの店内全体を捉える教科書的フルサイズ・ショットは明示されない。
電話口で怒鳴り散らしているピーター・フォークのクローズアップ、同じ釜の飯を食う水道工事員の男たちのクローズアップ、その切り返しだけ。
半年ぶりに家に帰ってきたジーナ・ローランズが、子供たちと抱き合うシーンもまた同様。本来ならば母親が3人の子供たちに囲まれる様子を、フルサイズ・ショットで切り取りたくなるものだ。
しかし、あくまでカメラはジーナ・ローランズのクローズアップから離れることなく、歓喜にふるえる彼女のエモーションを、出来る限り持続させようとする。
かつてジャン・リュック・ゴダールは、
最も自然なショットとは、ルック(眼の表情)のショットである
と言い切った。確かに、ジョン・カサベテスの撮影スタイルは、役者の演技をエモーショナルに伝達する最良の手段だろう。
だがカサベテスの狙いは、精神錯乱を起こしているジーナ・ローランズに、観客を同一化させることではない。パラノイア状態の彼女を客観的視座で俯瞰することによって、むしろ周囲の人間の困惑ぶりを描出することにある。
なぜなら、その狂騒のなかで、ただ一人彼女への無償の愛を貫こうとするピーター・フォークの姿が、相対的にドラマティックになるからだ。
そう、これは無償の愛を謳った物語なんである。狂った女の錯乱ぶりに、ただただ当惑を覚える人間たちのクローズ・アップ。「愛している」と叫びながら、彼女を抱きしめるピーター・フォークのクローズ・アップ。この対比によって、初めて我々観客は、彼の純粋な愛情を確認することになる。
スタンリー・キューブリックは遺作『アイズ・ワイド・シャット』で、「危機に陥った夫婦が真っ先にすべきことは《FUCK》である」と説いた。『こわれゆく女』でも、ピーター・フォークとジーナ・ローランズは子供たちを寝かしつけるやいなや、ベッド・インの用意を始める。
愛情の臨界点は、いつの時代も常にセックスだ。
- 原題/A Woman Under The Influence
- 製作年/1974年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/145分
- 監督/ジョン・カサベテス
- 製作/サム・ショウ
- 脚本/ジョン・カサベテス
- 撮影/マイク・フェリス、デヴィッド・ノウェル
- 美術/フェドンパパ・マイケル
- 編集/トム・コーンウェル
- 照明/ミッチ・ブライト
- 音楽/ボー・ハーウッド
- ジーナ・ローランズ
- ピーター・フォーク
- マシュー・カッセル
- マシュー・ラボルトー
- クリスティーナ・グリサンティ
- ニック・カサベテス
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