『欲望』(1966)
映画考察・解説・レビュー
『欲望』(原題:Blow-Up/1966年)は、ミケランジェロ・アントニオーニ監督が60年代ロンドンの空気を背景に、若きファッションカメラマンの揺らぐ知覚を描いたサスペンスドラマ。気まぐれに撮影した公園の写真に“不可解な影”を見つけた彼は、拡大を重ねるほどに現実の輪郭をつかめなくなり、日常が虚無と幻想のあいだへ溶けていく。モッズ文化の熱気と主人公の孤独が反響し合い、アントニオーニ作品特有の疎外のテーマが鮮やかに浮かび上がる。第19回カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作。
トーマスの二重性 ― 労働者とアーティスト
フリオ・コルタサールの短編小説をヒントに、ミケランジェロ・アントニオーニが監督した『欲望』(1966年)。カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを獲得し、ニューヨーク映画批評家協会賞では最優秀監督賞に輝いた。しかし栄誉ある評価とは裏腹に、その物語は一筋縄では解釈できない「不条理映画」として観客を惑わせる。
新進気鋭のカメラマン、トーマスが公園で撮影した男女の密会写真。現像すると、藪の中に拳銃を構える男の姿が浮かび上がり、さらに死体らしきものまで写りこんでいた…。
筋だけ追えば、ブライアン・デ・パルマが飛びつきそうなサスペンスフルな題材だ。盗撮と盗聴の違いこそあれど、『ミッドナイトクロス』(1981年)とほぼ同じようなプロット。だが、アントニオーニの手にかかれば、推理劇は解答を拒む不条理劇へと変貌してしまう。
僕が特にひっかかるのはオープニングだ。労働者階級とおぼしき男たちに混じって、安宿を出てくるトーマス。みすぼらしい服に、疲れ切った眼差し。一方でスタジオでは、モデルを罵倒しながら尊大に振る舞う“若き天才写真家”。このギャップは何を意味するのか。
その謎を解くカギが、冒頭とラストに現れる狂騒的な白塗りの集団=「モッズ」だ。
モッズと欲望の顕在化
モッズとはモダーンズ(Moderns)の略称で、1958年から60年代半ばにかけてロンドンを中心に広がったヤング・サブカルチャーのこと。テーラードの細身スーツやVespaスクーターをシンボルとし、既成の労働者階級文化からの脱却を目指した若者たちの“先進性”を体現していた。
そのルーツには、当時イギリスで人気を集めていたモダン・ジャズへの傾倒がある。ジャズ・クラブに通い詰め、洗練されたビートに酔いしれる10代の若者たちから派生したことを考えると、モッズが「モダン(現代的)」であると同時に「音楽的感受性を核とする文化運動」であったことが分かる。
象徴的なのが、本作の音楽を担当しているハービー・ハンコックの存在。当時まだ20代半ばだった彼は、マイルス・デイヴィスの“黄金のクインテット”に参加して頭角を現していた新進気鋭のピアニストであり、モード・ジャズの最前線に立つライジング・スターだった。
代表作『処女航海』(1965年)で示された浮遊感あふれるハーモニーと揺らぎのあるリズムは、現実世界と幻想世界を行き来するような音楽的体験を生み出した。
そのサウンドは、『欲望』の映像世界と驚くほど共鳴している。公園で撮られた写真が「現実」から「幻想」へと転じる瞬間、ハンコックのジャズが漂わせる曖昧なテンション・コードや不安定なスウィングは、境界線の崩壊を音響的に演出する。
つまり、アントニオーニはモッズ文化の象徴であるモダン・ジャズを取り込み、現実と幻想のクロスオーバーを“音楽”によって観客に体感させている。
となると、次のような読み解きが可能となる。トーマスは本来ただの労働者階級の一員であり、ふとした偶然から“車に乗り込む=幻想世界へと転移する”。モッズたちはサブカルチャーの象徴であり、彼らと接触した瞬間に彼の欲望は顕在化し、“写真家”という幻想の人格をまとっていく。
この映画、ある意味でパラレルワールド的な作品なのではないか。
白塗り軍団が示すもの
顔を真っ白に塗った奇妙な若者たち=モッズは、伝統や現実的生活から切り離された「遊戯的な集団」として描かれている。白塗りは、日常を脱ぎ捨てて“仮面”をまとった彼らの姿を可視化したものだ。
この白塗り軍団は、幻想世界への媒介者として機能する。労働者階級的な“現実”の匂いを纏って登場するトーマスは、彼らに遭遇することでモッズ的な享楽=幻想世界へと足を踏み入れる。
モデルとのセックス、ドラッグ、ロック・ライヴ。これらの享楽はすべて、彼らの存在がトーマスを引き込んだ“異界”の産物だ。
ラストのパントマイム・テニスが象徴するように、彼らは現実と虚構の境界を解体する存在でもある。実体のないテニスボールを追う彼らの身振りは、現実に存在しないものを「ある」として信じ込む行為そのもの。トーマスがボールを目で追った瞬間、彼自身も彼らと同じ幻想の世界に取り込まれ、現実から姿を消す。
サブカルチャーの遊戯性、幻想世界への入り口、現実と虚構の境界を曖昧化する媒介。三重の意味を担う彼らは、アントニオーニが観客に突きつけた「現実の不確かさ」のメタファーであり、映画そのものを不条理劇へと変貌させる装置なのだ。
モデルとの3P、ヤードバーズのライヴ、マリファナ…。享楽的なモッズ文化に身を委ねるトーマスの周囲では、現実と幻想の境界が次第に曖昧になっていく。あるはずの死体が写真に写りこんだり、消えていたり。現実の出来事は検証を拒み、すべてが幻影のように揺らぎ始める。
そして衝撃のラスト。モッズ達がパントマイムでテニスを始め、トーマスも見えないボールを目で追う。彼はついに幻想世界に没入したことを悟り、その瞬間スクリーンから姿を消す。唐突な「THE END」。
だが観客自身もまた、無意識にその“見えないボール”を追ってしまう。アントニオーニはスクリーン内外の境界すら溶かし、観客までも幻想世界に巻き込む。サスペンスの解答を拒む代わりに、映画そのものが「現実と幻想のクロスオーバー体験」へと変貌するのだ。
- 原題/Blow Up
- 製作年/1966年
- 製作国/イギリス
- 上映時間/111分
- ジャンル/サスペンス
- 監督/ミケランジェロ・アントニオーニ
- 脚本/ミケランジェロ・アントニオーニ、トニーノ・グエッラ、エドワード・ボンド
- 製作/カルロ・ポンティ
- 撮影/カルロ・ディ・パルマ
- 音楽/ハービー・ハンコック
- ヴァネッサ・レッドグレイヴ
- デビィッド・ヘミングス
- サラ・マイルズ
- フェルシュカ
- ジェーン・バーキン
- 欲望(1966年/イギリス)


