陰陽の原理になぞらえて正義と悪を描く、ヒューマン・サスペンス
【思いっきりネタをばらしているので、未見の方はご注意ください。】
善と悪、白人と黒人、“不死身の肉体を持つ男”と“肉体的ハンデを背負った男”、スキンヘッドとアフロヘアー(ジャクソン・ファイヴも真っ青)。
『アンブレイカブル』(2000年)で現出されるのは、ブルース・ウィリスとサミュエル・L・ジャクソンの、あまりに鮮やかなビジュアル的対比だ。
面白いのは、対極にいると思われていた二人が、実は同次元において表裏一体の存在だったという東洋的な思想である。
例えば中国で流布している「陰陽の原理」においては、光と影という相反する要素は同一空間上に同居している訳だが、インド系アメリカ人である監督M・ナイト・シャマランのアイデンティティーが、この作品に深い影響を及ぼしているのは、想像に難くない。
しかしこの『アンブレイカブル』 、「自らの特殊能力に戸惑いを感じている主人公が、常に泣き顔のガキと困難を共にし、最後に衝撃のラストを迎える」という基本構造が、シャマラン監督の前作『シックス・センス』(1999年)と同工異曲。
とどのつまり、最後の大オチを牽引する形で、二時間強のドラマが展開されていくんである。作風が確立されているといえば聞こえがいいけど、このワンパターンぶりには正直驚いた。
自己の存在意義を見失っていたサミュエル・ジャクソンが、「正義のヒーロー」を見い出す「悪」という役割を演じることによって、そのアイデンティティーを再び見いだす。自ら「ミスター・ガラス」と自嘲的に語る彼が、本編の実質的な主人公であることは間違いない。
アメコミというポップ・カルチャーをモチーフに、正義と悪を「陰陽の原理」になぞらえてドラマは構築されていく。この奇妙な因果関係が果たして、観客に深い感銘を与えるかどうか…。なかなか難しい問題だ。
とにかく長廻しで役者の演技をじっくりと引き出すシャマラン監督が、これから人間ドラマに傾倒していくのか、エンターテイメント系にこだわっていくのか、彼の資質を次回作で見極めたい。そのあまりにもウェットな演出ぶりには、人間ドラマに偏るとウットウシイような気もするんだが。
とりあえず個人的に泣き顔のガキが大キライなので、まずはこれを何とかして欲しいところである。
- 原題/Unbreakable
- 製作年/2000年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/107分
- 監督/M・ナイト・シャマラン
- 脚本/M・ナイト・シャマラン
- 製作/M・ナイト・シャマラン、バリー・メンデル、サム・マーサー
- 製作総指揮/ゲイリー・バーバー、ロジャー・バーンバウム
- 撮影/エドゥアルド・セラ
- 音楽/ジェームズ・ニュートン・ハワード
- 美術/ラリー・フルトン
- ブルース・ウィリス
- サミュエル・L・ジャクソン
- ロビン・ライト・ペン
- スペンサー・クラーク
- シャーリーン・ウッダード
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