「子供の喧嘩に親が出る」を地でいく、2組の夫婦による密室劇。
フランスの人気劇作家、ヤスミナ・レザの舞台劇『大人は、かく戦えり』を、ニューヨークのブルックリンに場所を移し替えて、ロマン・ポランスキーが映像化したのがこの『おとなのけんか』(2011年)である。
良識あるインテリ夫婦同士の示談のはずが、次第にお互いを罵倒しあう本音バトルに転化。ジョディ・フォスター、ケイト・ウィンスレット、クリストフ・ヴァルツ、ジョン・C・ライリーによる、壮絶な演技合戦が繰り広げられる。
打楽器がガンガン打ち鳴らされる、オーケストラの狂騒的BGMが鳴り響く中、ブルックリン・ブリッジ公園で子供達が“ちょっとしたいさかい”を起こす。僕はこのオープニングから、僕は完全に心を持っていかれてしまった。
皆にはやしたてられ、完全に孤立無援となっている少年が、持っていた木の枝で相手の顔を傷つけてしまうのだが、引きの画面のために詳細までは分からない。気がつけば我々は“事件の目撃者”という役割を割り当てられ、ロマン・ポランスキーの作劇に組み込まれてしまうのだ。
その後はリアルタイムに進行する密室劇となり、4人の俳優による芝居アンサンブルがスタートするんだが、個人的に最も興味をひかれたキャラクターが、ジョディ・フォスター演じるペネロピである。
アフリカの貧困問題を憂う“筋金入りのリベラル派”という設定で、とにかく「正しさ」を周囲に求めるウザキャラ。当初は怒りを心の奥にしまいこんでいたものの、彼女が唱える「正しさ」を夫と相手夫婦に否定されるやいなや、鬼の形相で猛抗議!
この顔面紅潮芝居には、「さすがオスカー女優!」と唸らされた。もう一人のオスカー女優ケイト・ウィンスレットも、豪快にゲロを吐くという壮絶芝居で、女優魂をみせつけている。
クリストフ・ヴァルツ演じるアランが、ペネロペの対極にいるような失礼極まりない弁護士なのもマル。初っ端から建前ではなく本音で喋るタイプだけに、後半の中傷合戦になっても冷静を保つ人物なのだが、そんな彼が妻に携帯を水没させられると、「これは俺の命だ!」とわめきちらしてしまう。その後、自分の携帯じゃないのに、電話音がかかるたびにビクッとなっているのがサイコーだ。
プロダクション・デザインの巨匠、ディーン・タヴォウラリスによるアパートメントのインテリアや、数々のポランスキー作品を支えてきた撮影監督、パヴェエル・エデルマンによる考え抜かれた構図のキャメラも素晴らしいが、『おとなのけんか』で特筆すべきは小道具だろう。
わずか80分の映画ながら、登場する小道具は実に多彩。具体的に言うと、携帯電話、ハムスター、コブラー、フランシス・ベーコン、ぬるいコーラ、ダージリン、ドライヤー、コロン、スコッチ、葉巻、チューリップである。特にドライヤーは、80分間のあいだに3回も登場!これだけ短時間に、モノを乾かす状況になる映画も珍しい。
『おとなのけんか』で描かれるのは、リベラル派対アンチリベラル派の思想的な対立であり、男女の結婚観の違いであり、「親は子供に人生を吸い取られる」という親の本音である。
初期作品の『水の中のナイフ』(1962年)や『袋小路』(1965年)など、あらゆる葛藤・対立を心理劇というフォーマットで手掛けてきたポランスキーにとって、この題材はお手の物。しかも齢を重ねて、語り口には余裕とユーモアすら感じられる。
私生活は問題だらけのこの巨匠には、まだまだ映画を撮り続けて頂きたい所存。
- 原題/Carnage
- 製作年/2011年
- 製作国/フランス、ドイツ、ポーランド、スペイン
- 上映時間/80分
- 監督/ロマン・ポランスキー
- 製作/サイド・ベン・サイド
- 原作/ヤスミナ・レザ
- 脚本/ヤスミナ・レザ、ロマン・ポランスキー
- 撮影/パヴェル・エデルマン
- プロダクションデザイン/ディーン・タヴォウラリス
- 衣装/ミレーナ・カノネロ
- 編集/エルヴェ・ド・ルーズ
- 音楽/アレクサンドル・デプラ
- ジョディ・フォスター
- ケイト・ウィンスレット
- クリストフ・ヴァルツ
- ジョン・C・ライリー
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