現実世界と幻想世界がクロスオーバーする不条理映画
フリオ・コルタザールの短編小説をヒントに、ミケランジェロ・アントニオーニが監督した『欲望』(1966年)。カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞し、アメリカ映画批評家協会の最優秀作品賃、最優秀監督賞をゲットした作品だが、お話はなかなかに意味不明である。
新進気鋭のカメラマン、トーマスが公園で何気なく撮った男女の密会写真。ネガをプリントしてみると、藪の中にピストルを構えた男が写りこんでおり、さらには死体らしきものが転がっていた…。
と書くと、いかにもブライアン・デ・パルマが好みそうなサスペンスフルな題材ではあるが(盗撮、盗聴の違いはあれど、プロットはほとんど『ミッドナイトクロス』(1981年)だ)、アントニオーニが手がけると何故か不条理映画になるから驚きである。
とにもかくにも、僕にはオープニングシーンがひっかかるのだ。労働者階級とおぼしき中年男たちに混じって、安宿を後にするトーマス。
みすぼらしい服に身を包み、その眼に生気は宿っていない。スタジオでモデルを罵倒し、尊大に振る舞う自信満々な若手クリエイターの姿はいっさいナシ。このギャップはなんなのか。
『欲望』を現実世界と幻想世界がクロスオーバーする物語と読み解くならば、そのカギを握るのはオープニングとラストに登場する、狂騒的な顔面白塗り集団「モッズ」たちだ。
モッズとはモダーンズ(Moderns)の省略形であり、1958年~1966年にかけてイギリスのロンドンを中心に浸透した、ヤング・ジェネレーション・サブカルチャーの総称である。
ちなみにモダーンズを直訳すると「現代派」となり、10代のモダン・ジャズ愛好家の意となる。本編の音楽を担当しているのが、当時まだ20代半ばだった天才ジャズ・ミュージシャン、ハービー・ハンコックであることは極めて象徴的だ。
故に以下のような解釈が可能となる。トーマスはしがない労働者階級で、たまたま乗り捨ててあった車に乗り込む。モッズ達は先進的なサブカルチャーを意味する総体であり、彼らとコンタクトした瞬間に内に秘めていた欲望が顕在化し、“写真家になる”。すなわち、現実世界から幻想世界に転移する。
モデルとの3P、ヤードバーズのライヴ、マリファナ…、いかにもモッズ的な享楽に身を任せるも、在る筈の無い死体が写真に写りこんでいたり、よって在るはずの死体が公園から消えていたりと、次第に現実世界と幻想世界の境界線がボーダーレスになっていく。
そして、モッズ達がパント・マイムでテニスボールを打ち始める衝撃のラストシーン。目に見えないテニスボールを追うトーマスは、自らが幻想世界に足を踏み入れたことを自覚する。そして自覚した瞬間、彼の姿は消滅し、唐突すぎる「THE END」を迎えるのだ。
えー、という訳でこのレビューもここで唐突にENDを迎えます。
- 原題/Blow Up
- 製作年/1966年
- 製作国/イギリス
- 上映時間/111分
- 監督/ミケランジェロ・アントニオーニ
- 製作/カルロ・ポンティ
- 原案/ミケランジェロ・アントニオーニ
- 脚本/ミケランジェロ・アントニオーニ、トニーノ・グエッラ、エドワード・ボンド
- 撮影/カルロ・ディ・パルマ
- 音楽/ハービー・ハンコック
- ヴァネッサ・レッドグレイヴ
- デビィッド・ヘミングス
- サラ・マイルズ
- フェルシュカ
- ジェーン・バーキン
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