『スペース カウボーイ』(2000年)はこのうえなくチャーミングな映画である。
イーストウッドが『ルーキー』(1990年)や『ザ・シークレット・サービス』(1993年)で提示してきた「昔とった杵柄」もしくは「年寄りの冷や水」的主題を、舞台を宇宙にまで拡大させて、タイトル通り西部劇オマージュとして描いた作品なのだから、頭から尻尾までイーストウッド印。これでチャーミングにならない訳がない。
しかも『スペース カウボーイ』』は、アウト・オブ・デイトな頑固職人というイーストウッド的キャラクターが4人に分裂して登場する。
パイロットのホーク(トミー・リー・ジョーンズ)、ジェットコースター技師のジェリー(ドナルド・サザーランド)、牧師のタンク(ジェームス・ガーナー)による、老人力を駆使したチーム・プレイ絵巻。
いかなる時も一匹狼で巨悪と立ち向かってきたイーストウッドは、ここにきてプロフェッショナリズムを総結集した団体戦の様相を呈するのである。
「老い」、「プロフェッショナリズム」、「チームプレイ」というモチーフは、特に物語の前半でユーモアたっぷりのジョークとして描かれる。
ライトスタッフならぬライプスタッフ(おじいちゃん集団)と揶揄されながらも、NASAの宇宙飛行士訓練を懸命にこなしていく様(チームプレイ)は微笑ましいし、齢を重ねてなおレディ・キラーぶりを発揮するドナルド・サザーランドが、検査がパスできないほどに視力が衰えているにも関わらず、驚異的な記憶能力で事なきを得るシーンには(老い+プロフェッショナリズム)、快哉を叫びたくなる。
かくして映画は牧歌的なムードでノホホンと展開するんであるが、実際に宇宙に飛び出して、旧ソ連の通信衛星「アイコン」を修理しようとする段階になると、トーンは一転してシリアスなムードに包まれる。
アイコンは通信衛星ではなく、核ミサイル6発を搭載したミサイル衛星だったのだ。過去の遺物とされてきたチーム・ダイダロスの面々が、冷戦時代の遺物と対峙するんである。
ハートウォーミングな老人喜劇と思いきや、『アルマゲドン』(1998年)のごときSFアクションにシフト・チェンジするというのは、イーストウッドお得意の「ジャンルを越境するクロスオーヴァー・ムービー」だが、ここでは二重で“埋葬”の意味が込められている。
冷戦時代の過去の遺物への“埋葬”と、西部劇の変奏というべき『スペース カウボーイ』』の、西部劇というジャンルに対する“埋葬”。世界広しといえど、こんな主題を有する映画を撮れるのはクリント・イーストウッドしかいないではないか!
エンディングでフランク・シナトラの『Fly Me To The Moon』が流れる中、イーストウッドのもう一人の分身であるトミー・リー・ジョーンズが、地球を救うために一人月面に取り残される姿をとらえたカットには、単なる感傷には流れない適度なセンス・オブ・ユーモアと、余裕綽々たる老人力を感じさせる。
『スペース カウボーイ』』は、グッド・オールド・ガイズによる、極めてグッド・オールド・デイズな作品なのだ。
- 原題/Space Cowboys
- 製作年/2000年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/130分
- 監督/クリント・イーストウッド
- 製作/クリント・イーストウッド、アンドリュー・ラザー
- 製作総指揮/トム・ルーカー
- 脚本/ケン・カウフマン、ハワード・クラウスナー
- 撮影/ジャック・N・グリーン
- 美術/ヘンリー・バムステッド
- 編集/ジョエル・コックス
- 音楽/レニー・ニーハウス
- クリント・イーストウッド
- トミー・リー・ジョーンズ
- ドナルド・サザーランド
- ジェームズ・ガーナー
- ジェームズ・クロムウェル
- ウィリアム・ディヴェイン
- マーシャ・ゲイ・ハーデン
- ローレン・ディーン
- コートニー・B・ヴァンス
- バーバラ・バブコック
- ブレア・ブラウン
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