昭和20年代を舞台に、様々な対立項を織り込んだ群衆劇
和田伝の同名小説を、成瀬巳喜男が映像化した『鰯雲』(1958年)。地主の保有地を政府が買い上げて小作人に売り渡す“農地解放”によって、地主と小作人の関係が劇的に変化した、昭和20年代の群衆劇である。
四季のうつろいを感じさせる情景描写をインサートしつつ、農村に生きる人々の悲喜こもごもや、細やかな情感を何気なく切り取ってみせる成瀬巳喜男のタッチは、あいも変わらず繊細だ。
とにかくこの映画、人間関係が複雑に入り乱れている。つまり様々な対立項が存在する、ということだ。世代間の対立、上下間(本家と旧家)の対立、男女間の対立。物語の進行につれ、その対立が反転と変容を重ねていく。
だがそこに、絶対的視点は導入されていない。橋本忍による脚本は、老若男女誰が観ても誰かのキャラに感情移入できるよう精密に構築されている。多様な鑑賞を受容する映画なのだ。
成瀬巳喜男の映画では、保守と革新の狭間で揺れ動く女性を主役に据えることが多いが、『鰯雲』における八重(淡島千景)もまたそのようなキャラクターの一人。
年老いた義母の存在に苛立ちながらも、農作業に汗を出すヤモメの中年女性である彼女は、農村に変革の波が押し寄せていることを肌で感じている。やがてモダニズムの風を全身に浴びて、進歩主義的女性として変身を遂げようとする。
しかし映画の終盤では、木村功演じる新聞記者との不倫の恋終止符を打ち、家長的な振る舞いをたびたび諌めていた保守的な兄・和助(中村鴈治郎)に同情的な発言をするようになり、自動車免許の取得に意欲をみせていたのにも関わらず結局それを諦める。
不倫相手を見送ることもなく、畑仕事に精を出すカットで終幕を迎えるラストシーンでも明らかなように、彼女は全てを理解した上で農村の女として、一生を終えることを決意するのだ。
旧世代である和助、新世代であるその息子たちの中間点に位置する八重。彼女の相対的な視点がドラマそのものを相対化せしめている。
もう少しアクの強い演出のほうが、各々の対立項が鮮明化したんではないかとも思うが、緻密な人間関係の構築によって、キャラクターのアンサンブルが見事に奏でられた良い例だと思う。
個人的には、冒頭で淡島千景が木村功を乗せて自転車を漕ぐシーンが妙に心に残ります。
- 製作年/1958年
- 製作国/日本
- 上映時間/130分
- 監督/成瀬巳喜男
- 製作/藤本真澄、三輪礼二
- 脚本/橋本忍
- 原作/和田伝
- 撮影/玉井正夫
- 美術/中古智、団真
- 音楽/斎藤一郎
- 録音/藤好昌生
- 照明/石井長四郎
- 淡島千景
- 中村鴈治郎
- 木村功
- 小林桂樹
- 新珠三千代
- 杉村春子
- 水野久美
- 司葉子
- 清川虹子
- 太刀川洋一
- 久保賢
- 織田政雄
- 賀原夏子
- 飯田蝶子
- 加東大介
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