ローランド・エメリッヒ監督版『GODZILLA』(1998年)は、お子さまランチのような映画である。まず何よりも、ち~~~~っとも怖くない。恐怖と笑いのバランスがずれていて、口あたりが甘ったるいことこの上なし。
元祖『ゴジラ』(1954年)は、“度重なる原子爆弾実験の、悲劇の象徴”として登場したはずだったが、アメリカ版『GODZILLA』は、単に巨大なイグアナが街中で暴れ回るだけ。
娯楽映画として、重苦しいテーマを避けたかった配給側の意図も分かるが、この巨大生物が生まれつき背負っている十字架を無視したことは、かえすがえすも遺憾千万なり。
“眠らない街”ニューヨークに、ゴジラが上陸したら…という設定は、傑作の誕生を充分に予感させる素晴らしいプロット。しかし、実際には地理的条件を活かし切れず、単なるニューヨークの観光案内にしか過ぎないシナリオになってしまった。
金子修介の『ガメラ』シリーズの成功要因は、大都市に怪獣が現れたら…という設定を、あらゆる角度からリアルにシュミレートし、第一級の戒厳令の雰囲気を見事に描き出した点にある(脚本家、伊藤和典のまさに独壇場)。
しかし『ゴジラ』はこの感覚が致命的に欠如。何故か最高指揮官であるはずの大統領の存在が全く無視され、選挙キャンペーンのことで頭がいっぱいの、ニューヨーク市長のドタバタぶりが鼻につく。ゴジラ上陸なんて世界的大事件であるはずなのに、いやに局地的な印象なのだ。
演出にも疑問だらけ。主要キャラクターは何故か窮地にたたされてもヘラヘラしていて、彼等の恐怖感が全く伝わってこない。
監督ローランド・エメリッヒの前作 『インデペンデンス・デイ』(1996年)では、いやに戦意高揚的なタッチがB級的な面白さを醸し出していたが、『ゴジラ』では、軽いアメコミ調のタッチが実に安っぽく見えてしまう。僕のごひいき、ジャン・レノも何だか大人しくみえてしまうのは気のせいか!?
そして問題の、マディソン・スクエア・ガーデンのシークエンス。一瞬『ジュラシック・パーク』(1993年)か!と思うくらいにパクリまくりでアセったが、閉じ込められた空間に無数の卵が産みつけられているという設定は、丸っきり『エイリアン』(1979年)だ。ここまでくると、映画的な引用というレベルを超えて、剽窃というべきだろう。
とりあえず『ゴジラ2』を予感させる終わり方をしているが、今のところ第二弾の製作を伝えるニュースは伝わって来ず。興行的にもヒットしなかったことだし、アメリカ版ゴジラはこの一作で終わりそうな気配である。
アーメン。
- 原題/Godzilla
- 製作年/1998年
- 製作国/アメリカ
- 上映時間/138分
- 監督/ローランド・エメリッヒ
- 脚本/ローランド・エメリッヒ
- 製作/ディーン・デブリン
- 原案/ローランド・エメリッヒ、テッド・エリオット、テリー・ロッシオ、ディーン・デヴリン
- 脚本/ディーン・デヴリン
- 撮影/ ユーリ・スタイガー
- 音楽/デヴィッド・アーノルド
- マシュー・ブロデリック
- ジャン・レノ
- マリア・ピティロ
- ハンク・アザリア
- ケビン・ダン
- アラベラ・フィールド
- マイケル・ラーナー
- フィリップ・ベルジュロン
- ヴィッキ・ルイス
- ダグ・サヴァント
最近のコメント