『婚前特急』(2011年/前田弘二)
テーマと意味をネタバレ考察・あらすじ・批評・レビュー
『婚前特急』(2011年)は、前田弘二監督によるラブコメディ映画である。五股をかける女性・池下チエ(吉高由里子)が、親友の結婚を機に自らの恋愛を見つめ直す姿を描く。共演は加瀬亮、浜野謙太、青木崇高ら。テンポの良い会話劇と軽妙な演出を通じて、恋愛のリアリズムと孤独を映し出す。音楽はきだしゅんすけ、脚本は高田亮。吉高の自然体の演技が話題となり、第35回日本アカデミー賞優秀主演女優賞に輝いた。
吉高由里子という現象──演技を超えた生命力の炸裂
僕と吉高由里子の鮮烈な出会いは、蜷川幸雄監督の『蛇にピアス』(2008年)にまで遡る。全裸もいとわぬ体当たりの熱演が当時大きな話題となったが、その時点での彼女はまだ度胸と根性のある新人女優という印象の域を出ていなかった。
ところが、『カイジ 人生逆転ゲーム』(2009年)やテレビドラマなどでキャリアを重ねていくうちに、彼女はスクリーンの中で次第に異物のように光る存在へと変貌を遂げていく。
その決定的な瞬間が、サントリーのハイボールのCMだ。「ハイボ〜ル!」「たーのしー!」と叫びながら、顔をくしゃくしゃにして笑うあの短い数秒間。あの一瞬において、女優・吉高由里子は作られた〈演技〉の枠を完全に飛び越え、一つの抗いがたい〈現象〉になったのだ。
無防備な笑顔がスクリーンの奥から観客に向けて唐突に炸裂する。それは緻密に計算された演出というよりも、反射的で衝動的な生命反応に近い。
彼女が笑えば映画のトーンがパッと明るくなり、彼女が泣けば物語の虚構性が一気に現実へと引き戻される。吉高由里子とは、そこに存在するだけで空間そのものを自分の色に染め上げてしまう、場を映画化する俳優なのだ。
本作で彼女が演じる池下チエは、時間を有効活用するために五人の男と同時に付き合うという、極めて身勝手で奔放な女性だ。普通に考えれば観客から嫌悪感を抱かれてもおかしくない役柄だが、吉高の持つ無垢な軽やかさがその毒を見事に中和してしまう。
彼女のコロコロと変わる笑顔は、我々が持っている常識や倫理観をいとも簡単に溶かすのだ。
最低男が引き出す自己否定のリアリズム
チエが付き合っている五人の恋人のうち、学生の健二(吉村卓也)、美容室オーナーの三宅(榎木孝明)、多趣味な出口(青木崇高)の三人は、物語の輪郭を形作るための記号的な存在に過ぎない。
実質的にこの映画のドラマを牽引し、チエの心をかき乱すのは、バツイチで真面目な西尾(加瀬亮)と、パン工場勤務の冴えない男・田無(浜野謙太)の二人である。
特に、ハマケンこと浜野謙太が演じる田無は、控えめに言っても最低点の男だ。小太りで貧乏で、盗癖まであり、チエから関係を清算されそうになっても「俺たち、そもそも付き合ってねーじゃん」と悪びれずに開き直る。
通常ならば、関わってはいけない地雷キャラとして早々に退場して然るべき人物なのだが、不思議なことにハマケンの不器用な身体からは、妙に生々しい体温がにじみ出す。
彼の持つその洗練されていないリアルな不器用さが、吉高の快活さと激しく反発しながらも、予想外の化学反応を起こしていく。チエが次第に田無に惹かれていくのは、決して純愛などではなく、自己の鏡像に出会ってしまったような戸惑いの体験なのだ。
自堕落で、いい加減で、倫理観も欠如しているけれど、それでもどこか人間臭くて憎みきれない自分自身。それが、田無という鏡を通して痛いほど浮かび上がってくる。
吉高の演技が本当に見事なのは、この「自己否定と自己嫌悪が入り混じった笑顔」を完璧に表現できる点にある。彼女は底抜けの喜劇のテンションを保ちながら、同時に壮絶な自己破壊を演じているのだ。
だからこそ、観客は彼女の身勝手さに怒ることも同情することもなく、ただハラハラしながら彼女の荒い呼吸を共有することになる。
前田弘二の演出と移動の詩学
本作を手掛けた前田弘二の演出は、一見するとテンポの良い軽快な会話劇の連続のように思えるが、実は空間の移動を極めて丁寧に、そして執拗に描いている。
とりわけ素晴らしいのが、終盤でチエが田無の働く府中のパン工場へと向かうシークエンス。通常のラブコメディであれば数秒のカットバックでテンポ良く済ませてしまうような場面を、監督はあえて長回しのカメラで追い続ける。
強風に激しく煽られながら、必死の形相で歩き続ける吉高の姿は、まるで吹き荒れる風そのものが彼女のコントロールできない感情の延長線にあるかのよう。
髪をぐしゃぐしゃに乱され、足を取られそうになりながらも、彼女の歩みは決して止まらない。その滑稽で泥臭い姿を見たとき、観客は彼女が単なる恋愛の成就を目指しているのではなく、自分“生そのものに真っ向からぶつかりに行こうとしているのだと悟る。
そしてその風は、後の泥沼の取っ組み合いとなるクライマックスシーンで、さらに激しい暴風となって再登場する。これは極めて映画的なモチーフの反復だ。
本作において風とは、チエの〈不安定に揺れ動く感情〉であり、現状を打破しようとする〈変化への衝動〉であり、時に人を傷つける〈愛という名の暴力〉でもある。前田監督はポップな恋愛映画を撮っているように見せかけて、実は移動と気流という映画のプリミティブな運動そのものを撮っているのだ。
時間の経過をセリフで説明するのではなく、心の激しい摩擦を風の強さで視覚的に語る。その静かで詩的な演出の確かな手腕が、『婚前特急』を単なる消費されるラブコメディから、長く記憶に残る人間ドラマへと遠く引き上げている。
この映画の本当の終着点は、誰かと結ばれるという恋愛の成就にはない。むしろ、チエが今まで無自覚に振りかざしてきた可愛さという最強の武器を完全に使い果たし、無防備な笑顔の奥底に隠されていた凄まじい疲労と孤独を、白日の下に露呈してしまう瞬間にこそある。
吉高が演じるチエは、「可愛い」という周囲からの言葉の呪縛を、自らの過剰な演技とエネルギーによって徹底的に破壊しようと試みるのだ。彼女の笑顔は周りを巻き込む明るい祝祭であり、同時にすべてを薙ぎ倒す凶暴な暴力でもある。
誰かを強く魅了し、同時に冷酷に突き放す。我々観客はその恐ろしいほどの二律背反にすっかり酔いしれ、やがて静かに気づかされるのである。可愛いとは、この世で最も残酷で、取り扱いの難しい力なのだということに。
参考文献・出典
- 婚前特急(2011年/日本)
![婚前特急/前田弘二[DVD]](https://popmaster.jp/wp-content/uploads/51jXi0nBv5L._AC_UL640_FMwebp_QL65_-e1762756462375.webp)