『バーニング 劇場版』(2018)
映画考察・解説・レビュー
『バーニング 劇場版』(原題:Burning/2018年)は、人間存在の深淵を凝視し続ける名匠イ・チャンドン監督が、村上春樹の短編小説『納屋を焼く』を原作に作り上げた一篇。何者にもなれない青年ジョンス(ユ・アイン)が、何でも持っている男ベン(スティーブン・ユァン)という名の「不在の象徴」に出会うことで、自らの現実が侵食されていくプロセスを描く。
村上春樹×フォークナー×フィッツジェラルドの文学的融合
『バーニング 劇場版』(2018年)が生まれた経緯そのものが、もはや事件だった。
もともと本作は、NHKが村上春樹の短編小説を映像化するプロジェクトの一環として企画されたもの。当初、イ・チャンドンはプロデューサーとして関わる予定であり、自身が監督するつもりはなかったという。
しかし、原作である『納屋を焼く』(1983年)を読み込むうちに、そこに描かれているリアリティの喪失とミステリーが、現代の韓国社会、とりわけ若者たちが抱える「やり場のない怒り」と共鳴することを発見し、自らメガホンを取ることを決意する。
村上春樹の原作は、バブル前夜の日本を舞台に、都市生活者の空虚さと喪失感をドライに描いたポストモダン文学の極致だ。主人公は余裕のある既婚者であり、謎の男との交流をどこか楽しんでいる節さえある。
だが、イ・チャンドンはこのテキストを現代韓国という煮えたぎる格差社会の窯に放り込み、全く異なる位相の物語へと焼き直した。
映画版の主人公ジョンス(ユ・アイン)は、パジュ(坡州)の寂れた実家で牛の世話をし、父親の傷害事件裁判に追われる、持たざる者として再設定されている。
ここで監督が巧妙に仕掛けたのが、アメリカ文学の二つの巨塔、ウィリアム・フォークナーとF・スコット・フィッツジェラルドの召喚だ。
ジョンスが愛読書として挙げるフォークナーは、アメリカ南部の没落と土着の因習を描いた作家であり、ジョンスの父親が体現する古い怒りやパジュの荒涼とした風景は、まさにフォークナー的な呪縛そのものといえる。
一方で、謎の男ベン(スティーヴン・ユァン)には、フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』と構造が重ね合わされている。
ジョンス自身が劇中で「彼は謎だらけだ。まるでギャツビーだ」と語る通り、ベンは江南(カンナム)の高級マンションに住み、ポルシェを乗り回すが、何をして稼いでいるのかは誰にもわからない。
「遊ぶことが仕事」と語るベンの、あの凍りつくような微笑み。彼は現代のギャツビーだが、フィッツジェラルドが描いたようなロマンチックな夢や、愛への執着は一切持っていない。彼にあるのは、有り余る富と、底なしの退屈、そして他者の痛みに対する完全なる無感心だけだ。
イ・チャンドン監督はこれまで、『ペパーミント・キャンディー』(1999年)で光州事件のトラウマを、『シークレット・サンシャイン』(2007年)で宗教的救済の欺瞞を、『ポエトリー アグネスの詩』(2010年)では罪と詩作の関係を描いてきた。
彼の作家性は一貫して、社会のシステムや歴史によって押しつぶされた個人の「苦痛」を凝視し、そこにかすかな救済(あるいはその不在)を見出すことにあった。
しかし『バーニング』で、彼はさらに一歩踏み込んでいる。ここにあるのは具体的な敵ではなく、ベンという存在に象徴される「見えない階級」と、ジョンスたちが抱える「原因のわからない無力感」だ。
村上春樹的な謎の器に、フォークナー的な土着の怒りを注ぎ込み、それを『グレート・ギャツビー』的な資本主義の虚無で蓋をする。
この多層的な文学的ハイブリッドこそが、本作を単なるミステリー映画ではなく、現代社会の病理を診断する重厚な黙示録へと昇華させているのだ。
ビニールハウスというメタファー
映画の中核をなすのは、原作通り「時々、ビニールハウスを燃やすんです」というベンの告白だ。
だがイ・チャンドンはこのモチーフを、原作の納屋から、韓国の農村風景にありふれたビニールハウスへと変更する。この改変は、映像的な美学以上の決定的な意味を持つ。
木造の納屋にはある種の歴史や重み、所有者の記憶が宿るが、ビニールハウスは安価で、透明で、どこにでもあり、そして燃えれば一瞬でドロドロに溶けて黒い煙となり、跡形もなく消えてしまう。
ベンは言う。「汚くて役に立たないビニールハウスを一掃してやるのは、世の中のためにもなる。彼らは燃やされるのを待っているんです」と。
この言葉を聞いた瞬間、我々観客)の脳裏には、ある戦慄すべき疑念が浮かぶ。彼が言っているビニールハウスとは、物理的な建物ではなく、ヘミのような身寄りがなく、借金を抱え、社会の底辺で生きる女性たちのメタファーではないのか、と。
ヒロインのヘミ(チョン・ジョンソ)は、カード借金に追われ、整形手術を受け、ナレーターモデルとして日銭を稼ぎながら、アフリカへグレート・ハンガー(精神的な飢え)を探しに行くような、生きる意味を渇望している女性だ。
彼女は、ベンのような捕食者から見れば、まさに燃やして消しても誰も気にしない、使い捨てのビニールハウスのような存在かもしれない・
映画の後半、ヘミは忽然と姿を消す。ジョンスは必死に近隣のビニールハウスを確認して回るが、燃えた痕跡はない。では、燃やされたのはヘミ自身だったのか? それとも、すべてはジョンスの階級的コンプレックスと嫉妬が生み出した妄想なのか?
しかし、イ・チャンドン監督は決定的な証拠を一切見せない。スクリーンに映し出されるのは、ベンの家のバスルームにある化粧箱(女性たちの戦利品のように見える)の中の安っぽい腕時計と、彼が新しく飼い始めた猫だけだ。
「ここにあるのに、ない」。ヘミが冒頭で披露する「ミカンを食べるパントマイム」のセリフが、彼女自身の運命を予言していたことに気づくとき、物語は恐怖へと変わる。彼女の存在自体が、最初から社会にとって「あるようでない」ような、希薄なものとして扱われていたことへの悲哀。
イ・チャンドンは、これまで『オアシス』の障害者や『ポエトリー アグネスの詩』の認知症患者など、社会から不可視化された人々に光を当ててきた。
本作におけるビニールハウスというメタファーは、現代資本主義社会において、人間が単なる消費」や風景の一部として処理され、透明なまま消されていく暴力を、最も静かで、最も残酷な形で告発している。
マイルス・デイビスと魔の時間
『バーニング 劇場版』には、個人的にここ10年で最も美しいと思うシーンがある。
夕暮れ時、ジョンスの実家の庭で、ヘミがおもむろに服を脱ぎ捨て、半裸で踊り出す。背景には、北朝鮮との国境近くの山並みと、刻一刻と沈んでいく太陽。紫とオレンジが混ざり合うマジックアワーの光の中、彼女は鳥のように腕を広げ、旋回する。
ここで流れるのは、ルイ・マルの映画『死刑台のエレベーター』(1958年)のためにマイルス・デイビスが即興で演奏した「Générique」だ。
あの気だるく、孤独で、死の予感を孕んだトランペットの音色が、ヘミのシルエットと重なり合う瞬間、映画は物語を超越した、純粋な詩へと昇華する。
ヘミが探していたグレート・ハンガーは、この瞬間、完全に満たされると同時に、永遠に失われる。彼女のダンスは、自由への渇望であり、同時に「私はここにいる」という、消えゆく存在の最後の叫びだ。
撮影監督のホン・ギョンピョ(『パラサイト 半地下の家族』『哭声/コクソン』)は、このシーンを照明を使わず、自然光だけでワンカット長回しで捉えることにこだわった。
この世とあの世の境界線のような黄昏の中で、彼女の乳房や肢体は、性的な対象としてではなく、あまりにも儚い生命の灯火として美しく輝く。
ベンはその姿をあくびをしながら眺め、ジョンスは複雑な表情で見つめる。この視線のトライアングルこそが、彼らの運命を決定づける。
原作の村上春樹は、結末を曖昧なまま終わらせた。主人公は日常に戻り、謎の男は相変わらず納屋を焼いているかもしれない、というドライな終わり方だ。これは村上文学特有の、喪失の受容である。
だが、イ・チャンドンは映画版において、衝撃的な結末を用意した。ジョンスは、雪の降る野原にベンを呼び出し、彼を刺し殺し、その死体ごとポルシェを燃やす。そして自分も全裸になり、衣服をすべて炎の中に投げ込む。
この改変は、単なる復讐劇ではない。冒頭、ジョンスは「小説を書きたいが、何を書けばいいのかわからない(世界は謎に満ちている)」と語っていた。
彼がラストで行った行為、それは言葉を奪われ、搾取され続けてきた「持たざる者」が、自らの全存在を賭けて行う、最初で最後の自己表現なのではないか。
ベンのポルシェが燃える炎は、ヘミの魂を弔う炎であり、同時に、不条理な世界に対するジョンスの怒りの具現化だ。『バーニング』は、村上春樹のニヒリズムを出発点としながらも、最終的にはイ・チャンドン特有の「痛みを通じた生の回復」へと着地する。
それはあまりにも破壊的で、悲痛な回復だ。マイルス・デイビスのジャズが予言した死の影は、ジョンスが放つ紅蓮の炎によって現実のものとなり、観る者の心に消えない火傷を残すのである。
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